今回は1970年に開催された『大阪万博』の思い出について語るで
会場:大阪府吹田市
日数:3月15日から9月13日までの183日間
参加国:76ヵ国
入場者数
6421万8770人
1日の最高入場者
83万6千人
※9月5日(土)に記録
平均入場者数
35万人
入場料:
大人(23歳以上)
800円
青年(15~22歳)
600円
小人(4~14歳)
400円
※当時の平均月収は5万円
(万博記念公園HPより)
うちから万博会場まではわりと近い方で普通は車で行くけど、自転車で行けないこともなかったです。
当時、私は小学校1年生
世間や周りがものすごく騒いでいて、自分もよ~わからんけどウキウキ
テレビでも会場紹介をやってたから、ほんまに自分の記憶かどうか分からんようになってまう。
そこで自信を持って自分自身の記憶だと言えるもんだけ書いてみます!
- 入口で迷子バッチをもらった。鳩の絵でキラキラしてた。
- やたらと迷子のアナウンスが多かった。
- 生まれて初めて『動く歩道』を歩いた。
- 日本人とはちゃう人間を初めて見た(つまり外国人)
- 変わった形をしてる建物がいっぱいあった。
- 有名じゃない国のパビリオンにだけに入った。(有名な国は並んでるんであきらめた)
- 『太陽の塔』の芸術的良さが子供には分からんかった。
- 広島のおじいちゃんが一緒に行った。
- あっちこっちから日本語の方言が聞こえてた(日本各地から来場)
- 3回くらい行ったかな。
- お弁当を母が作って持って行った。
- 暑かった
当時撮った写真を載せたいけど、今手元にありません
今度大阪に戻った時に探してみます。
(YouTube)
隣接の『エキスポランド』は万博が終わっても遊園地として残ったので、数え切れへんほど遊びに行きました。
特に中学生の時は友達と1日に何べんもジェットコースターに乗った思い出があります。
今は『エキスポシティ』って言うんやな。
施設も映画館やらアウトレットがあるって。
まだ行ったことないけど楽しそう。
散策できるのは『万博記念公園』
アスレチックができたときは、これまた何回も通いました。
こうやって思い出すと、子供の頃に大阪に住んでてほんまにラッキーやったと思います。
当時は高度経済成長期。
うちの父の仕事は機械関係やったから、新幹線や万博の建設でその恩恵は受けてたようです。
残念やけど、今の日本に経済成長は期待でけへんなぁ
ま、気を取り直して三波春夫さんの『こんにちは』で〆させていただきます。
お読みいただいてありがとうございます。
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