こんにちは!お読みいただいてありがとうございます
今回の話題は1970年代に大流行した『ボウリング』
1970年代、私が小学生になると、東京や都市部を中心とした大ボウリングブームが起きた!
その立役者となったのは、須田開代子選手や中山律子選手といった、当時のスタープロたち。
特に中山律子さんはCMにもバラエティー番組にも登場してたなぁ。
今見ても美人さんやで
うちの父もしょっちゅうテレビ観てたわ。
CMフェザーシャンプー (Youtube)
♪律子さん、律子さん、なかやま 律子さん♪
この歌は皆さん覚えていると思います↑
街中にはボウリング場が乱立し、子どもからお年寄りまで広い層から爆発的な人気を博した時代。
そして私達の住んでいた街にも立派なボウリング場ができた
そりゃ、うちの両親は喜んで家族みんなで出かけて行ったわ。
土日祝日は駐車場に入るのも渋滞「そこまでして入らなあかんのか」と子供心に思った私。
レストランも併設されてるから1日そこで過ごそうという考えの親達。
初めての頃は楽しかった
その頃は自分で点数をつけていかなあかんかったそれも鉛筆で・・・点数表みたいなのが置いてるから書いていくねん。
足し算してな。。。頭使ったわ。
5,6回通ううちにだんだん飽きてきた私
姉もそうやったかも。
もっと上手くなれば面白いんやろうけど、そこまでスポーツ得意やないし。
『ド根性』の時代やったけど別にプロになるわけやないし。
そう言えば、テレビドラマで『美しきチャレンジャー』(昭和46年1971年)っていうのが放送されてた。
陸上競技のハードル選手だった女子高生「小鹿みどり」は、近所をランニング中に大学生「高峰明久」と出会う。みどりにボウリングの楽しさと厳しさを教えてくれた高峰はボウリング修行のため渡米。突然みどりの前から消えてしまう。
高校を卒業したみどりは、父の親友が幹部になっている「ライト建設」に入社したふりをして、ボウリング部があるという理由で勝手に「日本PM商事」に入社してしまう。そこでみどりはボウリング部の新任コーチとして招かれた高峰と感動の再会をする。(Wikipedia)
面白そうな話。
主役が新藤恵美さん。美しい
観てたような気がする。。。覚えてないけど。
とにかく大ブームは続き、『日本国内のボウリング場は1972年(昭和47年)時点で3697箇所を数えた』そうです。
しかし、昭和の時代はいろんな新しい遊びが登場したし、オイルショックもあったし、人々は飽き性で(自分もや)冷たいもんで、ボウリングはどんどん衰退していった
現在はどうやろ?
ボウリング場は見かけますよね。
特にRound1みたいなアミューズメント施設は上手いことやってそう。
私の家の近くでもボウリング場は1、2軒あります。
『ボウリング』は健康や美肌にも良い、とか書かれている記事もありますね。
わたしはもっぱら『任天堂スイッチ』のスポーツゲームで『ボウリング』ですわ。
これもコツがいるんですよ~
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