こんにちは!皆さんは、お米は好きですか?
私はパンよりお米が好き。
お米と言えば『田んぼ』
昭和の子供らは『田んぼ』で遊んだもんやん。
大阪も昭和40年代はまだ『田んぼ』がいっぱいあった。
私が小学3年生まで住んでた家の近くには『田んぼ』が広がってた。
放課後、友達と遊ぶ場所は誰かの家、家の近くの公園、土手、田んぼなど。
「何して遊んでたんや」
今回は『田んぼ』での遊び方を思い出してみます。
基本的に『田んぼ』の中で遊べるんは稲刈りが終わって田植えが始まるまで。
そやから遊んでたのは秋から春だけやったんかな。
いやいや、夏も稲が育ってる間は畔(あぜ)道を通って遊んでたな。
春
土筆(つくし)、レンゲソウ、シロツメクサの季節
お天気の良い春の日に母、姉、私、近所の人々で田んぼに行った。
「つくしは食べられるんやで」って母。
家に持って帰って調理してくれた。
どんな味か忘れたけど食べた記憶がある。
「レンゲソウは蜜を吸えるんやで」って母。
田んぼでレンゲソウを摘んで、そのまま「ちゅっちゅっ」ってしてみた。
すっごい甘くて美味しい
考えてみたら『レンゲはちみつ』って売ってるもんね。
そしてシロツメクサ
「これはこうやってな」と母。
たくさん摘んで、茎でお花をつないでいって『花冠』を作った
なんて素敵な遊びやねん
たぶん小学1年生くらいやった私は夢中になった。
冠だけやなくネックレスも作った。
虫嫌いな私やけど、この時はそんなに気にせーへんかったと思う。
そしていろんなことを教えてくれる母を尊敬した
一度覚えたこれらの遊びは小3くらいまで友達だけでもやってた。
しかし、だんだん『田んぼ』はなくなり始めた。
以前の記事
昭和の街並み・大阪③マンションっていうのができたのでエレベーターで遊んだ
の通り、マンションやスーパーマーケットの建設が活発になったからや。
もちろん年齢的にも『田んぼ』で遊ぶことより別の興味に移っていったけどね。
皆さんも田んぼでお花を摘みましたか?
つづきは夏編
『昭和の街並み・田んぼ②夏はめっちゃ本気の肝試し』(予定)