おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

今日6月10日のお花は

かきつばた だそうです。


そして

かきつばたといえば


平安時代初期から

前期にかけて活躍した

貴族・歌人の

在原業平の

「伊勢物語」!

 

在原業平は

父方をたどれば

平城天皇の孫で桓武天皇の曾孫

そして

母方は桓武天皇の孫と

血筋からすれば

非常に高貴な身分ですが

ちょっと訳ありの方なのですね。

 

 

さて

その伊勢物語

『源氏物語』に最も影響を与え、

物語の源泉となった、といわれています。

 

この主人公こそ、

六歌仙の一人で、

百人一首にも入った

「ちはやふる~」

の歌で名高い歌人、

在原業平(アリワラノナリヒラ)

モデルとされる「昔男」

(ほとんどの段が、

「昔、男ありけり」から

はじまるのでそういわれています。)

 

在原業平は簡単に言えば

女性にモテすぎて

歴史に名を残してしまった、、

という、、なかなかの人物。


 

「日本三代実録」という史料では、

在原業平のことを

「容姿端麗で自由奔放、

漢学には疎いが和歌には優れていた。」

としているので、つまりは

相当なイケメンだったわけです。

 

そして当時は女性を口説く時は

基本、和歌を詠みましたから、

和歌が上手いと言うのは

言い換えると女性を口説くのが上手い!

ということ。

つまり、在原業平は勉強はできないけど

(当時の官職につく人は

漢学は必須でした。)

自由奔放で、イケメンな口説き上手だった!

という人…らしいですてへぺろ

 

そんな在原業平の出自ですが

父は平城天皇第一皇子の阿保親王、

母伊都内親王は桓武天皇の皇女。

血筋からすれば天皇家の嫡流という

かなり高貴な方。

 

ただ

おじい様の平城上皇、

ちょいクセが強めでした。

 

810年、平城上皇が

「平城京に戻って

俺が政治をしたい!ムキー」と

嵯峨天皇に対して

反乱を起こします。


この事件の後、

平城上皇の関係者は処罰され、

平城上皇自身は

隠居生活をすることになり

平城天皇の子孫たちは

次期天皇候補から除外され、

皇族としても微妙な立ち位置に…えー

 

そしてさらに826年の臣籍降下

(しんせきこうか)により名を

「在原」という姓に

改めることになる不運が!ガーン

 

臣籍降下とは簡単に言うと皇族のリストラ

皇族の人たちってほっといても

自動的にお給料が¥貰えるんですが、

在原業平が生まれた頃になると

皇族が多すぎて

皇族たちへの給料が国の財政を

圧迫し始めていたそうです。

 

そう、在原業平

祖父の平城天皇が

やらかしちゃってるので…

 

在原業平も、臣籍降下という名の

皇族リストラの対象となり、

「皇位継承の見込みが

0に等しい者」に。ガーン

 

また

当時、藤原一族が勢力を拡大していて

母親が藤原方でない在原業平

どうしても不遇な状況になってしまう

という背景がありました。

 

そんな在原業平は、

実に多くの女性と恋をし、

その恋路はたびたび周囲の人たちの

評判の的となり話のネタに。びっくり

それは

清和天皇の妃となる

予定の女性(藤原高子)や

伊勢神宮の巫女さんなど、

世間には絶対にバレてはいけない

禁断の恋の噂も多くあり、

格好のゴシップネタになっていたのです。

 

なっかなかの波乱万丈ぶりですびっくり

 

そして、在原業平のゴシップネタは

在原業平が亡くなった後も

尾ひれはひれが付いて語り継がれ、

それが本としてまとめられたのが

伊勢物語なのです。

 

そして、多くの人に語られ続けた

恋多き男の在原業平は、

いつしか女性たちの理想の男とされ、

モテる男=在原業平みたいな男」ていう

モテる男の代名詞的な存在になってしまうと

(何せ、関係をもった女性は3000人を超える

ともいわれていて、…まぁその真偽はともかく

やはり非常にモテたようですね。)

 

みんな「在原業平ってどんな男なんだろう?」って

思うわけですね…。

そこで読まれたのが伊勢物語。

ウタ(和歌)がうまくてちょい悪で

陰のあるイケメンな男の

ブログネタは昔も今も

やっぱりみんな気になるんですね…。

 

モテ男の恋愛本ってだけでも

バズルこと必須なうえ、

伊勢物語は短編集で

1つ1つの物語も短くて、

とても読みやすい!

 

そんな和歌に秀でた「昔男」

が主人公の伊勢物語

源氏物語や

お能ではまさに「かきつばた」や

「井筒」「雲林院」などの典拠にもなり

教養人が読む「お約束の本」に

なったようです。

 

「伊勢物語』第九段「東下り」はこんなお話

失恋や様々な憂き目にあった昔男は、

都に「居場所がない」と思い、

「自分の住むべき場所を求めるべく」、

友人たちと連れ立って、

当時は田舎だった

東国へと向かうことにします。
 

その途上、三河(愛知県東部)の

八橋というところで休憩していた時のこと。
水辺に燕子花が群れ咲いているのを

見つけた一行のひとりが、

主人公に向かって

こんなリクエストをします。
 

「『かきつばた』の五文字を、

句の先頭に入れて、旅の気持ちを読め」と…。
 

なかなかの難題ですが、

主人公はこれに応えます。

らころも
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞおもふ

(大意)何回も着て、体になじんだ唐衣のように、

慣れ親しんだ彼女が(都に)いるからこそ、

遠く離れた旅のわびしさが思われる。

 

句の頭の文字をそれぞれ拾っていけば

かきつは(ば)た」となります。

主人公は、見事にふたつの課題をクリア。
歌を聞いた人々は涙をこぼし、

食べていた乾飯(米を乾かしたもの)が

ふやけてしまったほどでしたえーん

 

この話は

教養の1つとなります。

 

そして

江戸時代になると

この話をモチーフにしたのが

尾形光琳国宝「燕子花図屏風」を

制作します。

 

尾形光琳が描いたこの屏風絵は

金箔六曲屏風「燕子花」と「八つ橋」が名高く、

この絵で伊勢物語の第九段「東下り」

を思い起こすのが「お約束」てへぺろ

 

よく見ると、花弁の群青、葉と茎の緑、

背景の金と

たった3色と非常にシンプルな色数で

構成されているにもかかわらず、

ゴージャスな雰囲気が漂います。

 


それもそのはず。

左右合わせてきちんと箔足を揃えて

整えて貼られた金箔は1000枚以上。

 

画面を埋め尽くすかきつばたも、

当時高級画材だった群青(アズライト)、

緑青(マラカイト)で作られた顔料を

惜しみなく使って描かれていて

かきつばた(燕子花)

世界最高峰の作品となっています

 

さらにチェックポイントは、

左隻・右隻での

カキツバタが描かれた

「目線」の違い

 

ほぼ水平に近い位置から

燕子花が「真横」に描かれた右隻

やや高い位置から

見下ろすような目線で描かれた左隻と、

それぞれ違った視点から描かれてます。

 

また、よく見るとかきつばたの花には、

「濃い青」と

「白味を帯びた淡い青」の濃淡が

使い分けられ、

花の内側の上を向く花弁と

外側の花弁を

上手に表現するなど、

細部へのこだわりも

しっかりと感じられます。

 


かきつばた(燕子花)

かきつばた(燕子花)

古来より日本にある

植物で、開花時期は

夏の気配がしてくる初夏、

5月~6月頃に、

浅い水辺から

50cm~70cmの丈を伸ばし

深みのある

鮮やかな青色の花を咲かせます。

 

 

このかきつばた(燕子花)

私にとっても

ちょっと緊張するお花です。

それは、

尊敬している染色家の先生のセミナーで

「燕子花」と「八ツ橋」の

絵が描かれていたら

「それは「伊勢物語」ですね…」っ

ていえると

「相当かっこいいよね…」と

おっしゃっていて…キョロキョロ

 

そうか…、

かきつばたは

教養を試されるお花ということね…

と教養のない私は

ドキドキして聞いていたのを

思い出すのです…。

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!