おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

コロナが落ち着いた

昨今、海外からの

観光客が

本当に増えましたね!

日本が好き!と言って下さる

外国の方の動画などを

見ると

とても嬉しいし、

日本人としての誇りも

感じますが、

日本文化に対して

日本人より

外国人の方が

詳しい、と言うことも

あったりして、

改めて日本文化を

日本人が知ることの大切さを

かんじます。


そんな日本の文化に

お能がありますね😃


お能は観阿弥、世阿弥親子が

芸術にまで高めたのですが、

その

観阿弥の教えをまとめたのが

能の大成者・世阿弥の

「風姿花伝(ふうしかでん)」です。

 

この風姿花伝は、

世阿弥の父、観阿弥が口述し

世阿弥が編纂したものとされ、

お能を行う際の心得などを

体系化したもの。


その一章が「年来稽古条々」として

年齢に応じた対処の仕方が

花にたとえて書かれいて

そこに

お能を始めるなら7歳がよい

とあるのです。

*花に例えて…というのが美しいですよねニコニコ

 

私が「風姿花伝」

お能に興味を持ったのは

 

私が20歳の時に

戸部新十郎氏の

「服部半蔵」の本にはまり

その本で、

半蔵が忍びの仕事をしながら

成長していくとき、

その生き方や忍びの技を理解するために

ところどころで出てくる

風姿花伝の言葉が

絶妙に的を得ていてかっこよく

興味を持ったことがきっかけでした。

 

 

そんなことから

お能について知りたいと思い、

 

女性ながら4歳で

二代目梅若実氏について

能を習い初め、

古典文学や美学を追求された

白洲正子氏の本を読み漁り、

また、お能を見たりしたのですが

実際にお能を見ると

人間の喜怒哀楽をすべて美に昇華してしまう

日本人ならではの感性のすごさ…。爆  笑

 

 


特に弱い立場の人間の

やり場のない哀しみや苦しみ

鬼に変わっても、亡霊になっても

壮絶なまでのその想いこそを

美しさに昇華してしまう表現力…。

よく、無表情な顔をしていると

「能面のような顔」といったりしますが

さにあらず!

 

舞台で見ると

その面の向きで

本当に笑っているように、

また

本当に泣いているように見え

見ている人の心に

直接その心情が入ってくるのが

すごいのです…びっくり

 

*多分、、その世界に入り込むための

集中力がすごい必要な

芸能なんだと思いますが…

 

 

そんなお能の手引書として

世阿弥が編集したものが

「風姿花伝(ふうしかでん)」です。

 


世阿弥

世阿弥は、南北朝時代の1363年、

大和四座の人気スター、

観阿弥の長男として生まれます。

幼名を鬼夜叉、本名を「元晴」といいます。

11歳の時、京都・今熊野での演能で

父・観阿弥とともに

獅子を舞ったことがきっかけに

世阿弥は一躍人気役者になります。

特に、この時、

若き将軍・足利義満との出会いにより

世阿弥は義満の寵童として、

そば近く召し使われることになります。

 

世阿弥が20歳を過ぎた頃、

父・観阿弥が旅興行先の

駿河でなくなります

 

その後、世阿弥

名実ともに観世座のリーダーとなり、

演目・主演を兼ねる

シテ役として一座を束ねます。

 

しかし、そんな順風満帆の世阿弥ですが、

後継者がいないことが悩みでした。

そのため、

世阿弥の芸の伝承として

「風姿花伝」

執筆したといわれています。

風姿花伝(ふうしかでん) 

今から600年近く前に

風姿花伝のような

体系的に優れた芸術論は

西洋にも東洋にも

存在しないといわれています。

 

ただ、この花伝書は

秘伝中の秘伝の書とされ

その存在を数百年、

世に知られずにきたのですが

明治42年に学会に発表され、

人に知られることになったそうです。

 

第一章 年来稽古条々

「一(ひとつ)、

この芸において、

大方七歳をもて初めとす

このころの能の稽古、

かならず 

その者の自然といたすことに、

得たる風体あるべし。

舞・はたらきの間、音曲、

もしは、

怒れることなどにてもあれ、

ふとしいださんかかりを、

うちまかせて 心のままにせすべし。

さのみに、善し悪しきとは、

教ふべからず。

あまりにいたく諫むれば(いさむれば)

童は気を失いて、

能ものぐさくなりたちぬれば、

やがて能は止まるなり。

ただ、音曲・はたらき、

舞などならではせさすべからず…」

 

幼年期

お能は7歳ごろから稽古を始める。

この年頃の稽古は、

自然にやることの中に風情があるので

稽古でも自然に出てくるものを尊重して

子供の心の赴くままにさせるほうが良い。

良い、とか悪いとか、

厳しく怒ったりすると

子供はやる気をなくし

そのまま、芸の上達が

止まってしまう

子供には、

うたい、はたらき、舞などの

ほかをさせてはならない…

 

と、このように、

能の演じ方だけではなく

人生を7段階に分けて、

人生論もまとめています。

 

7歳ぐらいの子供の頃は

その子の自然に出てくるものを

好きなようにやらせると良い、

と言っていて

むやみに良い、悪いと大人が判断して

厳しく叱るな…ということで

今の時代でも通用する

教育論だと思います。

 

このように

親として、

どのように子供に対応したらよいか

という観点や、

自分にとっても

その年齢の過ごし方を示唆され

とても参考になるものです。

 

そしてこの年来稽古条々の

言葉ではっとしたのが

「時分の花」という話

 

十二、三より

この年の頃よりは、

はや漸々(ようよう)

声も調子にかかり、

能も心づくころなれば、

次第次第に物数も教ふべし。

まづ、童形なれば、

なにをしたるも幽玄なり。

声も立つころなり。

二つの便りあれば、

悪きことは隠れ、

よきことはいよいよ花めけり。

おほかた、児(ちご)の申楽に

さのみにこまかなるものまねなどは

せさすべからず。

当座に似あはず、

能も上がらぬそうなり。

ただし堪能になりぬれば、

なにとしたるもよかるべし。

児(ちご)といひ、声といひ、

しかも上手ならば、なにかは悪かるべき。

さりながら、この花は真の花にあらず

ただ、自分の花なり。

されば、この時分の稽古

すべてすべてやすきなり。

さるほどに、

一期の能のさだめにはなるまじきなり。

この頃の稽古、

やすきところを花にあてて

わざをば大事にすべし。

はたらきをも確やかに

音曲をも、文字にさはさはとあたり、

舞をも、手をさだめて、

大事にして稽古すべし。

 

 

少年前期

12~13歳の少年は、

だんだん謡の声も調子に乗ってくるようになり

能もわかってくることであるから、

順序を追って芸の種類を教えると良い。

稚児の姿といい、声といい

それだけで幽玄を体現して美しい。

声もよく出る時期である。

この二つの利点があるから、欠点は隠れて

長所はますます目立つようになる。

だいたい、子供の申楽は

あまり込み入った物真似などは

させないほうが良い。

ただし非常に優れた

子供であれば何をやっても

差支えないだろう。

しかし、この「花」は真実の芸の力から

出た花ではなく、一時的な花である。

この時期よさそうに見えても一生涯、

能がうまくいくとは限らない。

この年頃の稽古は

子供のしやすい特異な点を

舞台で活かしてゆくようにして

基本的なわざを気を付けて

稽古させるのが良い。

身体の動きもきちんと確実にやらせ

舞も型を守り大事に稽古するのが良い。

 

と少年期の美しさを絶賛しているものの

本当の花ではないと警告しています

少年期の華やかな美しさに

惑わされることなく

しっかり稽古しろ…

といっているんですよね!

 

十七、八より

このころはまた、あまりの大事にて

稽古多からず。

まづ、声変わりぬれば、

第一の花失せたり。

体も腰高になれば、かかり失せて

過ぎしころの、声も盛りに、

花やかに、やすかりし、時分の移りにて

手立てはたと変わりぬれば、気を失う。

結句、見物衆も

をかしげなる景色見えぬれば、

はづかしさと申し、かれこれここにて退屈する成り。

このころの稽古には

指をさして人に笑はるるとも、

それをばかへりみず、

内に声の届かんずる調子にて

宵、暁の声を使い、

心中には願力を起こして

一期のさかひここなりと、

生涯にかけて、能をすてぬよりほかは

稽古あるべからず。

ここにて捨つれば、このまま能はとまるべし。

総じて、調子は声よりといえども

黄鐘、盤渉をもて用ふべし。

調子にさのみかかれば、

身形(みなり)にくせ出るものなり。

また声も年よりて損ずる相なり。

 

少年後期(17,8歳)

このころはまた、

気を付けなければいけない時期で

稽古を多くしない方がよい。

 

それは声変りをするので

声の美しさという第一の花を無くしてしまっている。

体つきも腰がひょろつき風情がなくなり、

前の時期が声も盛り、花やかに

楽であったのに引き換え、

やり方ががらりと変わってしまうから

がっかりする。

結局、当人にも見物人が

変だなと思っている様子がわかると

はずかしさといい、あれやこれやで

ここでもいやになってしまう。

そこで、この時期の稽古では

たとえ、後ろ指をさして、

人に笑われても

それをきにしないで、うちうちで声が出るだけの調子で

朝に晩に出やすい声の使い分けをして

心の中では念力をおこし

「俺の一生の分かれ目はここだ」と

一生涯にかけて能を捨てない

決心を固める以外に、

稽古の方法はない。

 

思春期の頃というのは

幼少のころと違い、身体も発育し

色々な試練があったりするものですよね…。

しかしそういうときにこそ、

諦めずに努力する姿勢が

後から生きてくるといっています。

進歩が無い時はじっと

耐えることも時には必要で

絶望したり、諦めてしまうと

結局は自分の限界を超えることが出来なくなるので

ムリせず稽古を続けることが

次の飛躍に続くといっています。

 

いかがでしたでしょうか…。

この人生論、

私は大好きで

事あるごとに読んでいます。

また、世阿弥はいろいろな

名言を言っているので

明日はその名言について

書いてみますので

ご興味ある方は

お付き合いくださいませ。

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!