おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

今日5月9日は

アイスクリームの日だそうです。

 

実は

私が生まれ育った

文明開化で有名な横浜には

「初めて物語」がたくさんあるのですが

まさにアイスクリームの初めても

横浜なのですニコニコ

 

横浜は

食パンパンやビール生ビール

牛なべや

スパゲティナポリタンや

プリンアラモードなど

外国人との交流が盛んだった

土地ならではの

初めて物語がたくさんあり、

またそれらの食べ物は

現在でも

食べることができ

当時をしのぶことが出来るのも

うれしいポイントです爆  笑

 

「アイスクリン」の販売

1869年5月9日に横浜馬車道で

日本人日本初のアイスクリーム店

が開業しました。

 

製造して販売したのは

町田房蔵(まちだふさぞう)という人。

 

この人は、

1860年に日米修好通商条約の

最終確認のため、

徳川幕府が派遣した

使節団のメンバーの一員。

訪問先のアメリカアメリカで、

日本人として

初めてアイスクリームを食べた

一人だそうです。

 

そして

日本日本に戻った町田房蔵は

その体験を生かして、

馬車道で

すでに日本人になじみのあった氷水

(氷を細かく砕いて

砂糖や蜜をかけたもの)

と一緒に

牛乳、卵、砂糖で作った

アイスクリームを「あいすくりん」

と名付け販売しました。

 

*この町田房蔵はアイスクリームの他、

マッチ、石鹸、造船用鋲等の製造にも

関係したと伝えられています。

 

高すぎた「アイスクリン」

しかし、高すぎた価格設定で大赤字!

小さなガラスの器に一盛りで金二分。

金二分は

当時の女工さんのお給料10日分、

大工さんの日当2日分と、

今の時代では1万円を超える

かもしれないというお値段。ガーン

 

製氷技術が確立されておらず、

函館で切り出した氷を

輸送しなければいけなかったため、

アイスクリームの価格は

とんでもなく高くなり

庶民としては

馴染みがない上に

高価すぎるアイスクリームは、

手が出せるものでは

ありませんでしたショボーン

 

チャンス到来!

しかし…

ピンチを脱するチャンスがきます爆  笑

 

翌年開催された

伊勢山皇大神宮の大祭で、

茶店(ちゃみせ)を出店。

 

そこでアイスクリームを

販売したところ、

予想外の大盛況。

これをきっかけに、

横浜の街に

「氷水店(アイスクリーム店)」が急増。

町田房蔵は「アイスクリームの父」

いわれるようになりました。

 

何事もあきらめないことが

肝心ですね!てへぺろ

 

鹿鳴館とアイスクリーム

西洋に追い抜き追い越せとした時代。

日本の豊かさを海外にアピールするため、

 

明治16年(1883年)に建てられた

外国からの賓客の接待を

目的とした鹿鳴館では

連日連夜、

欧米風の園遊会や舞踏会が

開催され

外国人たちが招待され、

当時、すでにアイスクリームは

欧米人を接待するときの

不可欠なデザートとして

おもてなしの

必須アイテムでしたニコニコ

 

レストランによるアイスクリームの販売

 

明治8年(1875年)に

東京・麹町の村上開新堂が

アイスクリームを売り出し、

風月堂、函館館も

メニューにアイスクリームを

加えます。

 

明治35年(1902年)、

東京・銀座の資生堂薬局内

(現在の資生堂)

にアメリカアメリカのドラッグストアを

参考にしたソーダファウンテン

(現在の資生堂パーラー)を併設し。

アイスクリームと

アイスクリームソーダの

販売を始めました。

 

レストランでのアイスクリームの

金額は、25銭と

庶民には高嶺の花の贅沢品でしたが

その頃、街では「一杯一銭」の

アイスクリーム売りがいた

という記録があるそうです。

 

宮澤賢治とアイスクリーム

アイスクリームといえば

宮沢賢治(1896年—1933

の「天上のアイスクリーム」

が思い出されますニコニコ

 

賢治の時代に、花巻には

「精養軒」という西洋料理店があって、

賢治もしばしば通っていたことは、

よく知られていたようです。

 

当時、アイスクリームは

滋養のある食べ物として

病気の時は

必須の食べ物だったそうで、

 

賢治が、

 

結核という病に伏した

妹トシのために、

高級だった牛乳と卵を買い求め、

作って食べさせていたとかえーん

 

トシが亡くなる時、

詠んだ有名な詩が「永訣の朝」です。

(一部抜粋)

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「永訣(えいけつ)の朝」


今日のうちに遠くへ行ってしまう私の妹よ 

みぞれが降って表はへんに明るいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

 -雨雪を取ってきてください- 

・・・・・・・

ああとし子 死ぬという今頃になって

私を一生明るくするために 

こんなさっぱりとした雪の一椀を 
お前は私に頼んだのだ 

ありがとう私のけなげな妹よ 

私も真っすぐに進んでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

・・・・・・
おまえが食べる

この二椀の雪に 

私はいま心から祈る
どうかこれが

天上のアイスクリームになって
お前ととみんなとに

聖い資糧をもたらすように 

私のすべての幸いをかけて願う

 

妹トシを想う

せつない、せつない詩ですえーんえーん

 

夏の暑い日に、

氷を求め、機械を借りに走り、

妹に食べさせた賢治のアイスクリーム

賢治のトシへの愛情あふれる

アイスクリームです。

 

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そういえば

私も子供のころ

風邪をひいて熱が出た時に

食べさせてもらった

冷たいアイスは本当に

美味しかった…照れ

 

アイスクリームは

思いやりや愛情を感じる食べ物…

 

まさに体と心への滋養をもたらす

至福の食べ物です…。

 

ぜひ幸せのアイスクリームを食べて

疲れた心と体を癒すのも

良いかもしれませんね…ニコニコ

 

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!