おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

今日は

4月4日ということで

しし(44)ということで

獅子の日だそうです。

 

そして

獅子(ライオン)といえば

すぐ思いつく言葉は

「百獣の王!」

付いて回りますよね。爆  笑

 

このイメージは

現代のわれわれだけではなく

はるか昔の人たちも

同様のイメージを

持っていたようです。

 

ギリシャ時代の象牙細工で

「牝牛に襲い掛かる獅子」や

フェニキアで発見された

「茂みの黒人を襲う獅子」など

古代からライオンは恐れられていました。

 

その一方

エジプトのアメンホテップ三世が建てた

モニュメントや

ギリシャ東部のディロス島の

「聖なる獅子の道」と呼ばれる

巨大なモニュメントなどの

さまざまなライオンのモニュメントは

恐怖の対象というよりは

畏敬の対象としての

獅子の姿を表しています。

 

また、アッシリア時代では

「獅子狩り」が王権と

不動の支配を誇示する

特権的な競技として

おこなわれたいたことも

あったようですびっくり

 

1.シンボルとしてのライオンの紋章

そんな獅子(ライオン)は

王、太陽、豊穣、

警戒のシンボルでもありました。

 

百獣の王を制圧できる者、

つまりは

権力者や王者の資質の象徴へと

ある時期より変化していったようです。

 

①王者の象徴としてのシンボル

太陽晴れとしての象徴は

そのたてがみから想像できるように

太陽のように

自然界を支配する能力また

天の恵み、地の恵みを表す

豊穣のシンボルとして

用いられるようになったようです。

 

そんなことから

有名なスペインのアルハンブラ宮殿

「獅子の中庭」にある獅子の噴水は

王者が住む宮殿に

ふさわしいものですね。

 

② 警戒の象徴としてのライオン

また、獅子(ライオン)のイメージは

獅子が獰猛で野蛮なイメージから

警戒を表す象徴としても使われ

 

ヨーロッパの様々な建物の

ドア・ノッカーに

よく獅子の顔が好んで

使われているのは

この警戒を表しているといわれています。

 

2.紋章としてのライオン

このように

いさましく力強く、勇士や権力者

ふさわしいイメージの

獅子(ライオン)は

古代の王や中世の貴族たちも

ライオンの紋章を使いたがりました。

 

とくに12世紀に入って

紋章が普及し始めると

 

楯に収める図形として

格好のデザインは

競って獅子(ライオン)を

取り入れられていきます。

 

そして獅子の紋章は、

紋章の3つの代表的なデザイン

獅子、鷲、ユリの花

の中でも

トップの座を守ることになります。

 

2.30種以上ある獅子(ライオン)の図形パターン

あまりにも、獅子(ライオン)

だらけになり

紛らわしく、

似たようなものがになるため、

区別できるように

文様のパターンが

つくられるようになります。

 

歩き姿、立ち姿、

また立ち姿も片足を上げているものや

しっぽが2つに分かれているものなど

様々分類化されますが、

勝手な書き方は禁止されています。

 

西洋の紋章は2つ以上の

同一紋章の存在は許されていないので

誰かが使っている獅子の紋章は、

 

その色を変えるとか、

頭数をふやす、姿勢を変えるなど

後発の使用者は工夫する

必要があるようですが

 

それも勝手に作成できないので

 

歩行姿勢、停止姿勢、

左片脚立ち、両脚たち、伏臥姿勢

座り姿勢に限ることとされ

頭をどちらに向けるかも

指定されているとのことびっくり

 

イングランド王の三頭の獅子は

こちらに頭を向けていて、

警戒する歩き姿の獅子と呼ばれ、

デンマーク王の紋章の三頭の獅子の

頭はいずれも進行方向を向きていて

単に歩き姿の獅子と呼ばれています。

 

いずれにしても獅子の基本図形は、30ほどもあるそうですが

 

そこまでたくさんのパターンがある

動物の紋章は

獅子(ライオン)だけなので、

それだけ、獅子(ライオン)の」

絶対的な強さや、豊穣さが

イメージとして

好かれている証爆  笑なんですね。


 

 



3.シルクロードを通って日本に来たライオン

日本にはもともとライオンはいませんでしたが、

獅子舞や獅子文様など

古くから

ライオンをモチーフに

したものがありました。

 

これらはすべて

シルクロードを通って

奈良時代には、日本に伝わっています。

 

① 日本の獅子文様

古代ペルシャでもライオンは

聖獣とされ

その文様化された

獅子文の体表に

太陽の象徴として使われています。

 

そしてそれは、中国経由で

日本に伝わるものの

 

日本人はライオンを知らないので

中国風の架空の動物として受け入れびっくり

日本においての

文様が生まれることになったようです。

 

① 獅子舞の起源

獅子舞の起源は、

紀元前3世紀のインド

にあるといわれています

 

当時、インドを統一した

アショーカ王は

戦いで多くの犠牲者を

出したことを後悔し、

 

仏教を全土に広めることにしました。

そこで作ったのが

「アショーカ王の石柱」です。

 

この石柱には一部獅子が

彫られているものがあり

これが獅子に関する

最古の記録だそうです。

インドにはライオンが

生息していましたので

インドでも聖獣として

崇められていたとのこと。

 

これが中国に伝わり、仮面舞踊になり

日本に入ってきたとのことです。

 

奈良から日本全国に

獅子舞が広まったのは

日本の宗教史の

大きな出来事に関係しています。

 

まずは、

752年に行われた

東大寺大仏の開眼供養です。

 

東大寺の大仏制作には

260万人もの人々が

関わっていて

製造費は現在のお金に換算すると

4657億円!が投入された

ともいわれています。

 

奈良時代の日本の人口は

約450万人だったといわれており

人口の半数以上の人が

この東大寺大仏の制作に

関わっていたことになるそうです。びっくり

 

そして大仏は9年かけて

ようやく完成します。

そして

開眼供養には全国から

1万人以上の参列者が

来たという盛況ぶり!爆  笑

 

そこで、獅子が登場する

仮面劇が披露され、

それを見て感動した人々が

全国各地に獅子を

伝えたと考えられるとのこと!

 

きっとさぞ驚いたんでしょうね…ニコニコ

 

 

そしてさらには、

室町時代に今の獅子舞の

原型となる芸能が生まれます。

 

それは、伊勢太神楽

(いせだいかぐら)です。

現世に失望した人

が来世の幸福を願い、

伊勢新宮を中心とした

お伊勢参りが盛んにおこなわれたのですが、

このお伊勢参りを広め、

参拝者を接待したのが

御師(おし・おんし)

といわれる人々で

御師は、各地でお伊勢参りを広める際

伊勢太神楽によって厄払いをしました。

その際、獅子舞を待ったとのこと。

そして

江戸時代になり、

世の中が落ち着いたとき

現世利益や旅行を目的に

お伊勢参りをする人が増えて

そのお伊勢参りの広まりとともに

獅子舞も広まったとのことです。
 

 

 

ちなみに初めて日本にライオンがきたのは

明治三十五年(1902年)の1月2日、

東京・上野動物園。

 

それまで日本人は

ライオンをみたこともなく

架空の動物だとおもっていた

と思うと、

初めて見た人は

さぞ驚いたんだろうな、、

と思いますよね爆  笑

 

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!