おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

今日、3月21日は 

World Poetry Day

(世界詩歌の日)だそうです。

 

そして私は

詩人として一番興味があるというか

好きなのが

フランスのアルチュール・ランボーです。

アルチュール・ランボ―については

私は子供の時のCMでみた

 

電通の杉山恒太郎氏や戸田正寿氏が

プロデュースしした

サントリーローヤルのランボー編が

強烈すぎて、

そのCMをいまだに忘れられず、

 

今でもそのビジョンが思い出されます爆  笑

 

それは、

それまで聞いたことが無いような曲…

 

この曲は

マーク・ゴールデンバーグが作曲した

「鞄を持った男」という

異国をさ迷い歩くような

メロディにのせて

 

場面は砂漠の中、

天使のコスチュームを身にまとい

タンバリンをたたく女の子と

魔術師のような

妖しいタキシードとシルクハットの男

スキンヘッドで

レスラーのような格好の

火を噴く男が

画面に現れる…

 

まるで、フェリーニの

「道化師」のような

雰囲気の中

サントリーローヤルの封を

ペーパーナイフで切る映像になる。

 

その男は一人で立っていた
十代で天才詩人
十代であふれる才能を放棄
二十代は放浪
そして砂漠の商人
永遠の詩人ランボー
あんな男ちょっといない
サントリーローヤル

 

 

というナレーション…・

ユーチューブでアップしている人が

いたので、

ご興味ある方はぜひ見てください!爆  笑

 

 

もう…鳥肌です…

ゾクゾクものです…。

 

それ以後はまってしまった

アルチュール・ランボーニコニコ

どんな天才だったんでしょうか…。

問題児アルチュール・ランボ―

アルチュール・ランボー

1854年に北フランスの

シャルルヴィルに生まれました。

父親は軍人で家庭を省みず、

退役しても

家族のもとに戻ることがなく

ランボーは、兄と妹とともに

厳格な母親に育てられます。

 

この母親に対してランボーは

反発心があったようで、母親の忠告を

「亡者の繰言」といって

軽蔑していました。

 

そして1870年の正月に

「孤児たちのお年玉」という詩が

雑誌ルヴュ・プル・トゥスに

掲載されます。

 

ランボーが通う中学校の

修辞学の教員の

ジョルジュ・イザンバールが

ランボーの才能に気づき

15歳のランボーに指導します。

 

ランボーはイザンバールの

指導を受けつつ

イザンバールの蔵書

ヴィクトルユーゴーの作品を借り、

耽読したそうです。


1870年に普仏戦争が勃発すると

シャルルヴィルも戦火に

巻き込まれますが、

地方都市の生活に

飽き飽きしたランボーは

最初の放浪の旅に出かけますニコニコ


しかし、スパイの嫌疑をかけられ

マザスの監獄にぶち込まれて

しまいます。

イザンバールの尽力で解放され

その後

イザンバールに従い

共和国国防軍に志願しますが

「若い」ということで

入隊出来ませんでしたが

特別訓練を受けられるようになります。

9月末に一度母親のもとに

連れ戻されますが

10月にまた出奔…。

歩いてベルギーに向かいます。

しかし10月末に再び母親の

元に戻されますが

シャルルヴィルは

ドイツ軍に占領されていました。

パリコミューンのランボー

ランボーが3回目の出奔で

パリにきたときは

16歳でした。

「卑怯者らよ、さぁ、来たぜ」

 

このころのパリは、

プロシャへの弱腰に反発した民衆が

パリ・コミューンを樹立し、

フランスも内乱状態でした。

パリ・コミューンはいわば

共産主義や社会主義の

運動の原点になったものです。

しかし、パリ・コミューンは

ティエール政府によって

徹底的に弾圧され破壊します。

 

そんなコミューン派と行動を

共にしたランボーは

次第にアナーキズムな感性が

培われるようになりました。

 

また、その時に書いたランボーの作品

「盗まれた心」

男色による強姦を描いたものなのですが

ランボー自身の体験ではないか

といわれているそうです。

そんな中、ランボー

ボードレールと

ポール・ヴェルレーヌに

一筋の光を見出します。


1871年8月、ランボーはヴェルレーヌ

初めての書簡を送ります。

ヴェルレーヌはランボーの

才能に感嘆し

旅費を送ってランボーを

パリに招きます。

 

そこでランボーは

書き上げたばかりの

「酔いどれ船」を持参し

ヴェルレーヌに会いに行きます。


ランボーとヴェルレーヌ

しかし、ランボーの傍若無人なふるまいは

ヴェルレーヌ婦人のマチルドや

ヴェルレーヌの周辺から

猛烈な反発を受け

二人は孤立することになります。

 

そして、1872年、

ランボーとヴェルレーヌは

ロンドンに逃避行をし、

共同生活を始めますが

やがて二人は破局します。

 

1873年、ブリュッセルで

ランボーがヴェルレーヌに

別れをほのめかすと

激昂したヴェルレーヌは

アブサンを煽り、弾を込めて

ランボーを拳銃で撃ってしまいます。びっくり

 

 

1発目がランボーの手首に命中するも

致命傷には至りませんでした。

 

その事件で

ヴェルレーヌは懲役2年の判決が下り

その後、出獄した後

ランボーはヴェルレーヌに会いますが

その後二人が交差することは

ありませんでした。

この事件の後、

ランボーはシャルルヴィルに戻り

「地獄の季節」を書き上げます。

そして続けて

「イリュミナション」を書き

それが天才ランボー

最後の作品となります。


実業家のランボー
ランボーは1876年にオランダの兵士として

ジャヴァに行きますが

その後も放浪の旅を続け

その後1884年にエチオピアで

武器商人になります。

しかし、右ひざに癌腫を患い、

1891年マルセーユの病院で

右足を切断する手術を受け

アフリカに戻ることを願いながらも

船の中で症状が悪化し

マルセーユの病院に戻るも、

37歳でその早すぎる生涯を閉じます。

 

ランボーの詩

ランボーの詩では

ジャン=リュック・ゴダール監督の

ジャンポールベルモンドと

アンナカリーナが出演した

「気狂いピエロ」

最後のカットで引用されたのが

有名ですよね。


見つかったぞ
  何が? 永遠が
  太陽と
  融合した海が

  太陽に溶け込む

 

 

 

そんな

ランボーの詩

色々紹介したいものはあるのですが、

 

サントリーの宣伝と合わせて

紹介したいのが

ランボーが文学の世界との

決別を表した詩

「セール」です。

 

「セール」」

 

売り出しだ、ユダヤ人が売らなかったもの、

貴族も罪人も味わわなかったもの

大衆の呪われた愛や耐えがたい実直さが

知らずにいるもの…

時も科学も預かりしらないもの

(中略)

売り出しだ、

あらゆる人種も、

どんな世界も、男女の別れも

いかなる血統も超越した

値のつけようのない「肉体」

ひと足踏み出すごとに

あふれ出る豊潤さ

鑑定抜きのダイヤモンドものの

セールだ

(中略)

売り出しだ、計算と応用と

ハーモニーのものすごい飛躍。

色々な掘り出し物や

おもいがけない言葉遣い、

即刻あなたのもの。

(中略)

売り出しだ、

「肉体」に、声に、

計り知れない莫大な富

決してうられることのないもの…

売り子たちが品切れになることはない。

旅商人の皆さんはそんなにはやばやと

役目を放棄することはないのだ…

 

挫折した天才ランボー

あたかも乱雑に積まれた

種類豊富な在庫の中から

露店の商人のような口調で

次々に自分の詩の才能を取り出し

道行く人々に二束三文で売りさばく

 

私には

そんな天才ランボー流の

一種の慟哭の詩にも思えます。

 

自分の想像力に

並外れた自負を持ちながら

その成果を

他者に受容させることが

できない焦燥感…

それは

嘆きや自暴自棄としての

直接的な表現ではなく

滑稽さと天才ゆえの悲劇を嘲笑しながら

自分の才能をたたき売って

文学の世界と決別した

早熟の天才ランボーは

世間をあざ笑うかのように

武器商人に変わってしまう。

 

そう、

サントリー・ローヤルの宣伝のように

観客が誰もいない、

乾ききった砂漠の中で

「ここではない場所」を探しながら

道化師たちが

誰見ることのない美しい景色の中で

踊り歩いている白昼夢のような映像は

 

まさに1つのところに落ち着くことを

許されなかった

放浪の言葉の錬金術師

ランボーそのもののようです…

 


明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!