おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

昨日は、出雲阿国が江戸の若者たちに

影響を与えた

傾きのファッション

についてみていきましたが

今日は、

西洋の

ダンディー」について

みてみたいと思います。

 

ダンディーというと

18世紀末のイギリスの「伊達男」

ジョージ・ブライアン・

ブランメルが筆頭に

上がります。

 

当時、有名なイギリスの詩人で

美男で誉れ高きバイロン卿から

「ナポレオンになるより

ブランメルになりたい」と

言わしめた

「ボー・ブランメル

(洒落者ブランメル)」。

しかも

ブランメルから

ダンディーをとったら

何も残らないといわれた人…

(それは誉め言葉なんだろうか…??)

 

どんな人かちょっと

見ていきましょう!

 

ボーブランメル(Beau Brummell)

ジョージ・ブライアン・ブランメル(George Bryan Brummell)

の家柄は決して

名門とは言えませんでした。

祖父の職業は下僕でしたが

その息子、ウイリアムの代になり

一家の地位は向上します。

 

それは

ノース卿の秘書になったのですが

そのノース卿は大変気前がよく

「俸給の神様」と

いわれる人だったそう。

 

そのおかげで、

ウイリアムは立派な邸宅を構える

身分になり、

その息子ジョージに貴族階級の

子弟教育機関の

イートン校に入学させます。

 

平民の息子のブランメルは

階級社会のイギリスにおいての

そのような学校で

さぞや肩身が狭かったのではないか?

と思うと全く逆

 

貴公子揃いの全校の中で

非の打ち所のない身だしなみと

冷ややかな物憂げな

立ち振る舞いにより

この当時から

(Beau Brummel 

しゃれものブランメル)

異名を付けられたそうです。

 

それは

雨降りの日の靴下に

はねをかけず歩く技などは

他を抜きんでいたそう…。

(なんかすごい…びっくり

 

ブランメルのおしゃれの歴史

洒落者ブランメルの伝説は

すでに6歳のころからあり

自分の母親の

一番美しいスカートを裁って

自分の上着を作ることを

計画をしたそうです。びっくり

 

スポーツ大嫌い!!

オックスフォード大学に

進んだブランメルは

スポーツ大嫌いと公言したそうです。

それは

激しい動作によって

衣服を乱す危険にさらされること。

賤民のように力を

振り絞る無様さに

耐えられなかった…

 

そう…、なんとなぁく

気が付くと思いますが

徹底的な上から目線男なんです。

そして、、

極度のナルシストなんですね。

 

あるとき、

ブランメルが

けがをしてびっこを引きながら

部屋に閉じこもったとき。

友人が悔みの言葉に対して

「僕も大変残念に思っている

だって自分でも気に入っているほうの

脚だからね」といったそうです

 

ダンディズムを

支える基本的な要素には

このナルシシズム

(ようはうぬぼれ)は

必須のようです。

 

そしてこのブランメルの

エレガント(?)さは

時の摂政皇太子ジョージ4世を魅了し

彼の統率する

第10騎兵連隊に

招待されることになります。

(この時なんとブランメル16歳です。)

 

ブランメルのファッションとは

そんなにすごい

ブランメルのファッションが

どのようなものだったかというと

いつもきまって

袷ボタンの黒や

濃紺のフロックコートに

白のネッククロス

ピッタリ身にあった黒の長ズボン。

縞の絹の靴下

それにシルクハット。

それに細い時計の鎖ひとつ…

って

まさに現代の

ベーシックスタイルなので

いったいどこが

「ダンディー」なの??

と思いますが、

 

この現代まで通じる

ベーシックスタイル

最初に発案したのがこのブランメル。

 

そしてそのスタイルが

際立った理由としては

その前の時代との

対比がものすごいのです。

ロココ時代のファッション

18世紀後半のフランス貴族の文化は

御存知の通り

こってこってのロココファッション。

男性も女性も

盛り盛りスタイルです。

つまり、こうした

「コスプレ大会」の中にあって

いまではありきたりと思える

そして、当時としては

むしろ地味な服装を

ブランメルは

完璧の域にまで

高めることで

比類のない着こなし

にしたそうです。

 

そう、洋服って

高い服をきても

服に着られてはおしゃれではなく

着こなしが重要なんですよね…。

 

ブランメルは言います。

「街を歩いていて

人からあまりまじまじ見られる時は

君の服装は凝りすぎているのだ…」

(要は失敗しているってこと)

 

つまり、周りになじみ

違和感なく溶け込んで

調和しているお洒落こそが

お洒落の神髄というわけですよね…。

 

そして

あらゆる奇矯さ、

意表外な色彩

大胆すぎる裁ち方は

ブランメルには

耐えがたい悪趣味

として映ったそうです。

 

そんなブランメルのダンディズムの

神髄をまとめると

 

1.抑えられた色彩

黒や濃紺に対して

白のネッククロスという

明暗のコントラストを

基調としたスタイルは

ブランメルによって流行します。

 

2.清潔感のアピール

これまでの西欧の生活様式で

お風呂は極端に嫌われていて、

その代わりに、

体臭を隠す香水を

浴びるほど使っていた

貴族たち。

(体臭が7m先からでも

匂った国王がいたそうです)

一人では脱ぎ着できないドレスでは

トイレ事情も大変で

用を足すのにも召使いの手を借り

屋敷によってはトイレがなく

庭にそのまま排泄物を捨てている…

そんな、

西欧文化の辞書には清潔感などない…

という時代にあって

 

ブランメルは

ひげを丁寧にそり落とし、

(そり残しも

一本一本毛抜きで抜いたそうです)

そして毎日入浴をしたそうです。

そしてブランメルは香水をつけず

無臭という清潔感を武器に

社交界に殴りこみました。

 

現在では当たり前の

身だしなみを整えたわけですよ…。

 

3.徹底した服のお手入れ

当時のシャツは

シルクやリネンで作られたものが

一般的でしたが、

ブランメルは

ロンドンの水は汚いムキーといって

田舎の清流でわざわざ洗濯させ

靴は高級シャンパン

綺麗に磨いていたそうです。

 

4.ボデ・ィコンシャス・スタイル

ブランメルは抜群の

プロポーションをしていたそうです。

そのため、

自分の身体のシルエットを

強調させる

美しいフィット感のある

スタイルのお洒落を

楽しみました。

それは彼は幼少の時から

あらゆる生地を集めさせ

仕立て屋に

あつらえさせていたそうで

手袋においては、

親指専用、その他の指専用の

仕立て屋を明確に分けていたほど…。びっくり

 

そうしてこだわりが

現代のビスポークの文化に

影響を与えたと

しています。

 

また現在のトラウザース(ズボン)も

彼が考案したものといわれています。

 

5.ネック・クロス

現代のネクタイのルーツは

17世紀のクロアチア兵が

巻いていたものを

フランスのルイ14世が気に入り

「クラバット」と呼んで楽しんだもの

とされていますが、

 

ブランネルはそれを

「ネッククロス」と進化させて

細長い真っ白の布で

首元を演出するようにしました。

 

こうして出来上がった

ブランメルスタイルは

いつも2時間から2時間半

という時間をかけて

準備されたといいます。

 

きっと気が短い江戸っ子

には考えられないですよね…

 

特に

このネック・クロスの結び方

一世風靡をしたそうですが

それをするには

めっちゃくちゃ時間がかかり

時には、しわになった白い生地の山が

ブランメルの部屋中

散らかることもあったそうで、

そうしたことも厭わず、

自分のスタイルを貫いたブランメル。

セレブを虜にしたブランメルの態度

こうして抜群の

プロポーションと清潔感と

ジョージ4世の

後ろ盾を持ったブランメル。

 

これまでの社交界とは

真逆のファッションセンスで

社交界の常識を打ち破り、

さらに、

社交界では会話術や趣味の広さも

大切なところも

そうしたことは

一切興味がないと無視し

徹底的な上から目線で

社交界を支配します。

また、ブランメルは

社交界きっての毒舌家。

相手が誰であろうと

「触るもの皆傷つける」

スタイルだったものの

逆にみんなは

何とかしてこの

ブランメルに取り入ろうと躍起になり

その評判はイギリスだけではなく

ヨーロッパ全土にまで

広く知れ渡ったというから

すさまじい!びっくり

 

それこそ、

老若男女みんなが、

ブランメルに対して

よりプライベートな

お付き合いを望むほど

社交界のキングに

なっていったそうです。

 

もちろん、

会話術や趣味に興味がないといっても

全く知らないただの無知では

相手にはしない社交界の世界。

そんな世界に

ある意味平民のブランメルが

そこまで社交界の

キングになり得たのは

そうした知識を知らないのではなく、

知っているが好きではないを貫き

自分のこだわりを

徹底的に貫いたという人なわけですね。


こんな逸話があります…。

 

ブランメルのように

社交界で注目を浴びたいと思っていた

ベッドフォード公爵が

ある日、ブランメルに

新調した服の意見をもらった話…。

 

ベッドフォード公爵

「ブランメルさん、

ちょっとおねがいがあります。」

ブランメル

「なんだい?ベッドフォード」

(*すでに呼び捨て…)

ベッドフォード公爵

「この新調した服について

ご意見いただけますか?」

ブランメル

「じゃ一回りしてみて…」

ベッドフォード公爵一回り…

 

ブランメル

「おい、ベッドフォード。

君はそんなものを

服と呼ぶつもりかね。

すぐ脱ぎたまえ!

 

ひえーーガーンガーン

ブランメルがどんな人かがわかる

エピソードですよね。びっくり

 

それでも友達になりたいという心理は

辛口有名御意見番の意見を

ありがたく聞きたいという

人間心理なのでしょうか…。

 

なぜか好かれるブランメル

晩年、多額の負債で

英国から亡命を余儀なくされた

ブランメルは

フランスのカーンで

とうとう牢獄行きになったそうです。

しかしその牢獄でも

身支度を3時間していて

ブランメルの全盛期

とはいえないまでも

豪奢な暮らしをします。

それは

彼を慕う社交界の

人々からの差し入れと

銀行家やブルジョワたちの

支援によって

可能にしたそうです。


さらに、英国きっての

ダンディという肩書が

フランスの社交界で話題になり

彼を支援する者たちが

大勢押し寄せるという事態…。

 

彼の評価が高いのは

スキャンダラス性の皆無さ。

男性として野蛮性や

情動性といったものが

一切彼にはありませんでした。

社交界でも当然異性にもてた

ブランメルは

社交界デビューをもくらむ娘たちに

「ブランメルさんに

気に入られるようになりなさい」

といわれたそうです。

 

そんな中でも

ブランメルは

生涯独身生活で過ごしたそうです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

庶民の

江戸っ子たちが好んだ

人目を引いて楽しんだ

傾き(かぶき)スタイルと

ブランメルのダンディー。

 

まぁ、

日本は江戸時代は

本来は派手な

おしゃれをしたいところが

何度か贅沢禁止令が出されて

派手なおしゃれが

出来なくなった時に

それでもおしゃれをしたい人々が

見えないところに

お金をかけて粋としたり

 

金銭的に余裕のない庶民層が

唯一できたおしゃれは

一点豪華主義の粋。

たとえば、

よれよれの着流しを着ても

雪駄は職人のものを

ひっかけて歩けば

人目を引いて

ものがわかっている粋な人

といわれたそうです。

 

しかし、

様々な文化民族が

自己主張を競った

ヨーロッパにおいては

トータルコーディネートを

軸にした上で

自分ながらの

着こなしを楽しむ文化なので

例えば

靴だけとびぬけているような

豪華一点主義というのは

わけがわからず

靴だけではなく

どうしてほかのところも

気を使えないのか??

と不思議がられるそうです。

 

いかがでしたでしょうか。

それぞれの文化の違いもあり

どちらの考え方が良いかは

好みもあると思いますが、

 

メンズファッションとして

スーツの着こなしなどを

勉強したい場合は

トータルコーディネートで

素敵な着こなしをしている人を

お手本にすると良いのかもしれません。

 

 

明日も素敵な1日をすごしてください

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!