おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ


今日12月5日は

フランスの画家で

印象派の大家である

クロード・モネがなくなった日

だそうです。

 

モネは

光に注目をした画家ということで

色を勉強している人にとっても

とてもなじみの深い画家なんですよね。ニコニコ

1.印象派の画家、モネ

 

モネは子供のころから絵が得意な少年

街の人々の似顔絵を描いてはカラーパレット

お小遣いがま口財布を稼いでいるような少年だったとか。

 

そんなモネの腕を見込んだのが

画家で

「外光派」といわれた

ウジェーヌ・ブーダンでした。

 

外光派というのは、

その当時はまだ、珍しかった

屋外で絵を製作する画家のこと。

 

今でこそ当たり前の

外での写生ですが、

 

外光派や印象派が外で写生が

できるようになった背景がありました。

 

2.合成無機顔料の登場

19世紀

イギリスイギリスの産業革命によって

様々なものが開発されますが

新しい色材も

この時期に作られます。

 

合成無機顔料ができるまでは

自然のものから色を得ていました。

(鉱物や植物など)

 

しかし、自然から得られる

色には限りがあり

特に鮮やかな黄色や緑は

なかなかなかったのです。

 

しかし

クロムやカドミウムを原料とする

絵具によって

これまでなかった

鮮やかな黄色や緑が登場します。

 

*ゴッホの名作「ひまわり」も

このカドミウムイエローを使って

ゴッホならではの色合いをつくることが

できました。

3.ブリキのチューブの登場

外で絵を描くためには

絵具がもちだしやすいということが

大切です。

 

それまで絵具は

なんと!

豚の膀胱の絵具袋に

だったとか…びっくり

*絵具のウィンナー

ということでしょうか…。

ちょっと気持ち悪い…。

 

ブリキのチューブが開発されて

絵具の持ち運びは格段に

楽になります!

 

どんなに絵を描く技術があっても

それを可能にするための

道具が必要ですよね

色材の開発と

それを入れる

ブリキのチューブが

開発されて

ようやく画家は

本領発揮できるようになります。

 

こうした背景のもと

モネ

ブーダンに風景画を描くように勧められ

携帯用の絵具を一式購入し

屋外での風景画の制作に誘われたのでした。

 

4.光の画家の誕生

ブーダンが求めていたのは

「光」でした。

その考えにモネは共鳴します。

 

「現実そのもの」を描くのではなく

「光と大気を描く」

それが

モネの絵に対する解釈です。

 

「見たとおりに書く」

という視点から次第に

戸外の対象の色は

光の変化によって

「うつろい変化する」ということに

気づき

その変化を描くということに

画家は力をそそいだのです。

 

5.絵を暗くしない工夫

モネはどうのようにして

光の移ろいを描いたのでしょうか。

 

「光」を描くことは

画家の悲願でもありました。

つまり、絵を暗くしたくないわけです。

しかし、

絵具は混ぜれば混ぜるほど

暗くなる、という性質を持っています。

 

皆さん、水彩画で絵を描いたときのこと

バケツの水を思い出してください。

絵が完成するほど

色々な絵具を洗った水は

黒ずんでいきましたよね。

あれを「減法混色」といいます。

 

そこで

モネは色を極力混ぜないで

キャンバスの上に色を置いていく

という方法をとります。

(のちに点描画といわれる

技法です。)

こうすることで、キャンバスの絵は

濁らず、画面が暗くならないのです。

 

そして色は私たち

人間の眼の中で

混ざって見えることになります。

 

しかし、モネの表現が認められるまで

長い時間がかかりました。

 

「印象、日の出」

モネが32歳の時に描いた絵です。

「印象派」の名前がつく

きっかけになった絵です。

 

そしてこの絵は

「描きかけ」「未完成」と酷評されます。

 

しかし、この言葉は

むしろ

モネの本質をついていたのです。

 

モネは連作をする画家でした。

 

モネは言います。

「作品が完成したなどと思うことは

画家の傲慢でしかない」

 

6.連作への取り組み

そしてモネは

「積みわら」「水連」

「ルーアン大聖堂」

などの連作によって

時間の変化や陰影で

その姿を変える

色の移り変わりを

見事に表現します。

 

①積みわら

 

 

 

 

②水連

 

 

 

③ ルーアン大聖堂

朝日のルーアン大聖堂

 

昼間のルーアン大聖堂

 

夕日のルーアン大聖堂

 

*ある意味

コマ送り動画の原型と

言えるわけですね。

邪推ですが

モネが今の動画撮影を

見たらなんていうんでしょうかね…てへぺろ

.

7.自然科学の本質をとらえたモネ

モネは

理論や観念で

物を解釈することを嫌ったといいます。

 

しかし、モネの目は目

色の移ろいを感覚で

まさに正しく理解していました。

 

さきほどの点描画の

細かい色を並べておくことで

人間の眼の中で混色されるという知識は

その当時の最新の色彩科学です。

 

またその当時にわかった

補色の関係(反対色関係)を利用することで

*補色…上記の色相環で相対する色の関係。

 

「明るさ」や「鮮やかさ感」を

生み出すことも

色彩科学として

その当時にわかったことですが

 

モネは

色彩学としての知識ではなく

 

自分の目で感覚の中でとらえ

補色の関係である

黄色の光の影には青紫を

使っていました。

 

こうしてモネは

単なる観察の記録者ではなく

虹のきらめきを描いた画家

「色彩の詩人」といわれるようになります。

 

そんなセザンヌはモネを

このように評価しました

「モネは一つの目に過ぎない。

しかし、それは素晴らしい目だ」

 

モネは知識として色彩学を理解するのではなく

自分の目を通して感覚として

正しく色彩科学を理解していたんですね。

 

私たちは物を見ていると思っていても

案外ざっくりとしか見ていないものです。

 

モネのようにきちんと物を見れる力をもつことが

大切なのかもしれませんね照れ

 

*モネが作ったフランスのジベルニーの庭ですニコニコ

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!