おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

秋というと

趣味を楽しむのによい季節!


特にアートに触れあうのも

いいですよね。


アールヌーボーが好きな方も

多いですが、

アールヌーボーといえば

やっぱりポスター!

 

特に

ロートレックと合わせて

日本人に人気があるのは

繊細な装飾と女性が美しい

アルフォンス・ミュシャ!爆  笑

 

(ロートレックにしても

ビアズリーにしても

女性を美しく書いているか…というと

…………………………キョロキョロなので、)

 

そもそも

19世紀末になぜポスターが流行ったか

という理由と合わせて

ミュシャについてみたいと思います。

*アルフォンス・ミュシャ「黄道十二宮」

リトグラフの登場

現代は、街を歩けば

ビルの中も、駅のなかも

街並みの中にもポスターだらけで、

ポスターは都市風景の一部ですが

 

ポスターがあらわれるようになったのは

19世紀末なんですね。ニコニコ

 

リトグラフの誕生

ポスターといえばリトグラフですが、、

リトグラフが出来たのは18世紀末。

 

ボヘミアのアロイス・ゼネフィルダ―が

石版印刷(リトグラフ技術)を発明します。

リトグラフは、

言葉の通り、平らな石の上に描画して

印刷する版画。

ゼネフィルダ―は石灰石の上にクレヨンで絵を描き

弱酸性溶液を塗ることで化学変化を起こして作る

平版印刷を発明します。

木版は凸版、銅版は凹版ですが、

石灰石は平版でそれが画期的でした。

石版は彫る作業がいらないのでとても楽でした。)

 

リトグラフは線の太さや細さを

きめ細かくそのまま印刷でき、

多色刷りをすることで

色合いやつやも変化していく特徴があります。

そうした技術は

フルカラーのポスター

安価に大量に

つくることを可能にしました。

 

ポスターの需要

世紀末のパリは

万国博覧会が開かれ

また商業や風俗や芸術が開花したことで

パリに人が集まり

都市生活者が増えまていきますニコニコ

そうした人たちへの娯楽の提供として

キャバレーやカフェなどの

エンターテインメントの場ができ、

それらを宣伝するポスターが

大量に必要になったわけですニコニコ

 

アートの役割の変化

美術はこれまでは

王族や貴族の人たちのための

特権的なアカデミックなものでした。

画家はそうした

パトロンたちの庇護のもと

高い画材を購入してもらい

パトロンやパトロンが望むものを

描くことで

富と名誉を得ていました。

 

しかし、フランス革命によって

絶対王朝や貴族社会が崩壊し

市民文化が台頭したことで

アートも一般の人達のためのものになります。

 

これまでの絵画より

はるかに安価に大量につくられる

ポスターは

街路が画廊となって

街の風景の一部になります。

(そういえば、浮世絵も

かけそば1杯ぐらいの金額で

庶民に売られたんですよね…)

 

そして

多くの人に商品を売る、

ということが前提のポスターは

大量生産できることが必須となり

リトグラフのポスターは

まさにその需要にはうってつけとなりました爆  笑

 

目立つために…

この頃、ポスターは

あまりにもおびただしく貼られるようになり

その中で目立つための手法として

参考にしたのが

日本の浮世絵でした。

 

ポスター作家たちは

平面をできるだけ単純明快

色がくっきり見えるようにして

その配色の面白みや

太い輪郭線、

余白を上手く使った大胆な表現方法を

浮世絵から学びました。

 

また、目立つために一番手っ取り早いこと…。

それは…美女が街角に立っていたら

誰だって振り返らずにはいられない…爆  笑

ということで

人間の身体、それもなるべく女性や

女性をイメージする曲線で描かれるようになります。

 

そうした意味で、ミュシャが描いた

美しい女性を描いたポスターは

とても目立っていました。

 

特にミュシャといえば

この「JOB]のタバコのポスターが有名ですね。

 

もちろんこの時代

女性がタバコをふかす、というのは

不道徳と思われていたため

タバコを消費するのが女性

ということでは当初はなかったのですが

 

こうした不道徳でいながら

気になるような

コマーシャルとしてのイメージ提案は

 

まさに

これまでの絵画とは違って

奇をてらった不道徳なイメージと

エロティシズムなイメージ…

女性の線を強調するような

魅力的な宣伝としてのポスターは

大人気となり、

リトグラフポスターは

新たなジャンルのアートとなります。

 

事実、その後、ミュシャの女性のように

優雅にタバコをたしなむパリジェンヌが増え

JOB社のタバコの販売に貢献したといいます。

アルフォンス・ミュシャ

ミュシャは

1860年にチェコスロヴァキアに生まれます。

プラがで美術を学び

1879年にはウィーンで舞台装置の仕事し

また、ある伯爵の後援をうけ

ミュンヘンで美術の勉強をして

1888年にパリに来ます。

 

プラハ、ウィーン、ミュンヘンと

アールヌーヴォー都市を

渡り歩いたことは

ミュシャの美意識を育てるうえで

大きな役割を果たしたといわれています。

 

そしてこの頃のパリフランス

文明の首都といわれるほど

世界の文化の中心で

 

1889年にはパリ万博が開かれ

エッフェル塔が建てられます。

 

モンマルトルにムーランルージュが開店し

 

美術は印象派などの

新しい絵画が盛り上がっていた頃です。

 

そんなパリについたばかりの頃

突然、

伯爵からの援助が打ち切られてしまい

ミュシャは、

自分で稼がなくてはならなくなり

新聞や雑誌に挿絵を描き始めます。

 

そして転機が訪れます。

1894年、名女優サラ・ベルナール

ポスターを頼まれ

ジスモンダ」を手掛けて

人気ポスター作家になります。

 

仕事が速いミュシャ

ルメルシェ版画店のブルノフが

サラのポスターの依頼をミュシャしたのも

ミュシャが素早く描く職人的な才能を持っていたこと

 

(ポスターの依頼を12月26日にして

ミュシャはすぐに劇場に行きサラをスケッチして

ポスターが刷り上がったのが30日

31日はパリの街中に貼られていた…

なんて神業…びっくり

 

またビザンチン風の豪華な衣裳文様を

得意としていたミュシャの作品は

ビジュアル的にもとても華やか。

 

サラはこのジスモンダのポスターを気に入り

ミュシャと独占契約をしたそうです。

ミュシャ「ロレンザッチオ」

(サラが初めて男装したお芝居のポスターです)

 

そして、これらのポスターが

ミュシャを人気ポスター作家に仕立てたのと

同時に

ベル・エポックの代表的なイメージの作家

なりました。

ミュシャの作品

特にミュシャの作品が人気な理由として

 

ミュシャの独特な構図として

コンパスや定規で書いたと思われる正円など

緻密なデザインや

ビザンチン文化の黄金装飾や

スラブ的な線画表現で華やかな画風と

*ミュシャ「ビザンチン風頭部:ブロンド」

 

そして

髪飾りや胸飾りなどの

豪華な精密な宝石細工の描写です。爆  笑

 

19世紀末というのは

装飾がとても注目された時代でもあり

装飾辞典が作られるほどで、

ミュシャはその装飾辞典をもとに描き

細部までのこだわりを感じさせるデザインが

注目を集めました。

*ミュシャ「装飾美術辞典」

 

ミュシャの女性像

そしてなんといっても

ミュシャの描く美しい女性。

 

実はミュシャは

19世紀に発明された新しいメディア

写真にも興味をもち

多くのヌード写真を撮っていたそうです。

 

そのため女性は

まるでその絵を触れば

柔らかく、暖かいぬくもりを感じられるような

 

まるで生きているかのような写実性があります。

 

そのため、ミュシャの絵は

2次元的に装飾された背景の中に

ぬくもりを感じる生き生きとした

美しい女性がうまくはめ込まれいるところが

新しい作風でした。

 

*今でいえば

まるでプリクラや自撮りの縁などを

デコった感じにして

美しく盛った自分たち…のようなかんじですね。

 

そんな今の時代にも通じるよう案

構図やデザインが

今の時代の女性たちにもフィットし

人気なのかもしれませんね。ニコニコ

ミュシャのその後

後に、アメリカの富豪の支援を取り付け

1910年にチェコに帰国したミュシャは

20点の絵画からなる連作「スラヴ叙事詩」を完成させます。

*ミュシャ 「スラヴ叙事詩 

故郷のスラヴ人ートゥーラン人の鞭とゴート族の剣の間で」

 

そして、無償でチェコの紙幣や

国章をデザインしたことにより

「絵画がチェコ国民の愛国心を刺激する」という理由で

ナチスに逮捕されてしまい肺炎にかかり、

その後、釈放されたものの

そのことが負担となり78歳の生涯でした。

 

いかがでしたでしょうか。ミュシャの

細密な装飾と

美しくかわいらしい女性の絵

日本でも大人気なので

展覧会が開催される機会も多いです。

もし機会があればみてみると

きっとおしゃれのヒントになることが

あると思いますよ…。

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!