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今日12月2日は

フランスフランスの画家

ジョルジュ・スーラの誕生日だそうです。

 

スーラは

色の勉強をしていると必ず勉強する画家の1人

 

色の勉強で

「混色」という内容があります。

 

それは

赤い絵の具と黄色の絵具を混ぜると

オレンジになりますよね…。

このように色と色を混ぜて

新しい色ができることを混色といいます。

 

そして

光の色と

絵具のような色料とでは

混色のルールが違い

色を作り出せる元の色(原色といいます)

が違うんですね。

 

パソコンやテレビの画面の色は

基本的に色光の原色

R(赤)G(緑B(青)で

様々な色が作られています。ニコニコ

 

また

印刷機などの色料では

Y(黄)M(赤紫:マゼンタ)C(緑みの青:シアン)

で色を作ることが出来ます。ニコニコ

 

よくコピー機などで

マゼンタが無くなりました…

等の表示が出ますよね

 

このように「混色」という内容の勉強を

するのですが、

物理的に色と色を混ぜて

違う色を作るということ以外に

 

実は

人間の眼の中で勝手に混色されてしまう

ということがあります。

 

例えば、茶色かと思ったら

オレンジの糸と黒い糸で作られているということが

あります。

これは糸はあまりにも細く

私たちの眼には1本1本判別できないので

オレンジと黒が目の中で混ざり

茶色に見えるということなのです。

 

そして

こうした色彩理論を絵画に取り入れたのが

スーラです。ニコニコ

 

通常の画家は

絵具などで絵を描きます。

すると

混色の理論として

絵の具などによる混色というのは

混ぜれば混ぜるほど暗くなる

ということがあります。

 

しかし、

モネに代表される印象派の画家たちは

光の移ろいを描きたいと思いました。キラキラ

しかし、色は混ぜるほどに暗くなるという

その現実をどうするか色々工夫します。

 

 

そして

明るく描く、、ということを突き詰めた究極が

スーラが描いた点描画です。

 

スーラは点描画というものを極め

1つ1つの色を点描で描くことで

目の中で混色させるという方法

点描画というジャンルを確立し

新印象派創始者として評価されることになります。

印象派の画家たちは

光をキャンバスの上に取り込もうとしました…。

 

しかしスーラは

キャンバスから光をだすこと…

絵そのものを輝かそうとします。

ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)

スーラは1859年12月2日に

パリのレナ・ブーランジェ通りの家に生まれます。

 

父のアントワーヌは以前は法務職員でしたが

不動産投資に成功し裕福になります。

 

スーラは最初に自宅の近くの私立学校で

芸術を学びます。

そして

1878年、スーラはフランスの国立高等美術学校

エコール・デ・ボザールへ移り

従来通りの美術訓練を行います。

 

しかし、1879年11月に

エコール・デ・ボザールをやめ

その後兵役に就くことになります。

 

パリに戻ったスーラ

友人のアマン・ジャンとアトリエを共有し

モノクロによる素描技術を習得します。

 

また23歳の頃

ウジェーヌ・ドラクロワの作品を深く研究し

色の使い方についてメモを残しています。

*ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

 

特にドラクロアの色使いでスーラが注目したのは

補色の関係です。

補色とは、黄色と青紫、赤と青緑、というように混ぜると無彩色になり

また隣り合わせておくとそれぞれの色を引き立てあう色のこと。

この補色関係にある色を使えば絵の鮮やかさは増大します。

*この色相環の相対する位置の色が補色の関係です。

 

そして1883年に

スーラは最初の主要な絵画「アニエールの水浴」を制作します。

*アニエールの水浴

 

パリの労働者階級の人たちが住む

郊外のセーヌ川で水浴を楽しんでいる

若い男性が描かれた記念碑的作品です。

 

しかし、「アニエールの水浴」はパリ・サロンに出品しますが

拒否されてしまいます。

その代わりに1884年5月の「独立芸術家集団」展に展示しました。

 

しかしスーラはこの組織に幻滅してしまいます

 

そこでスーラはポール・シニャックらと

「独立芸術家協会」を組織し

会費を払えばだれでも無審査で出展できる

展覧会「アンデパンダン展」を開催します。

 

グランド・ジャッド島の日曜日

1884年の夏

スーラは「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」の

制作に取り掛かります。

この幅3mもある絵画を完成させるのに2年かかったそうです。

この絵画では公園でさまざまな活動をしている人々を

点描画で描いています。

 

隣り合わせにある点描の色を変え

離れたところから見ることで網膜上で混色され色が作られ

それは

キャンバスで塗りつぶされるよりも明るく見えます。

 

またドラクロアの作品で注目した「補色」

効果的に使っています。

芝生の黄緑と影になった人物の紫

青い水面を背景にする男には

オレンジの服を着せ輪郭を浮かび上がらせる…。

 

それまで印象派が偶然に捉えていた光を

スーラは科学的に分析して

意図的に配色することで

キャンバスを光り輝かせました。

スーラの意図

実はこの

グランド・ジャッド島の日曜日と

アニエールの水浴

この2枚の絵は

当時のパリを語る一対の物語として

スーラの皮肉が潜んでいるといいます。ニヤリ

 

19世紀の初め

産業革命によって

普通の人々の暮らしは大きく変わります。

 

産業革命の成功で

大規模工場で働く労働者と

 

商店主といった資本家

いわゆるプチ・ブルジョアが登場します。

 

そしてセーヌ川をはさみ

労働者の

水浴びの場のアニエールと

プチブルたちの憩いの場

グランド・ジャッド島。

 

そしてこのグランド・ジャッド島に

描かれているプチブルたちに

侍っているのは

実はこの島に多くいたという娼婦。

この絵にサルが描かれていますが、

サルは卑しさの象徴で

娼婦をさしているといいます。びっくり

 

一見ごく普通のカップルに見えますが

サルを描くことで

彼らの関係を語っています。

 

また子供たちに比べ父親の姿が少ない…。

当時すでに離婚率が高かったことや

娼婦が多い島ということで

シングルマザーを描いているのかもしれません。

そして

唯一こちらを見ている

白い服の少女。

彼女はすべてを見るためにそこにいるようです。

 

まだ何も染まっていない純白のドレスを見に包んだ

未来を象徴する

少女は彼女が見ている世界を未来に伝えてほしいと

スーラが託したといわれています。

 

 

スーラはこう言っていたそうです。

「パルテノン神殿のフリーズは

神々が行進をしているように列を作っている。

私も、このフリーズのように

現代の人々の行進を永遠に残してみたかった」

 

スーラを熱烈に支持した

美術批評家フェリックス・フェネオンが

1886年にスーラの作品から「新印象主義」と命名します。

 

スーラは当時出版された

光学理論や色彩理論の研究を行い

原色とその補色を並べることで

色彩をより鮮やかにキラキラ

より強く見せることが出来ると

信じていました。

 

そんなスーラが開発した点描画

特にシニャックに影響を与え

彼もその後点描画で絵画制作を行うようになります。

 

1885年、スーラはカミーユ・ピサロと出会います。

ピサロはスーラが生み出した

点描画に関心を持ち

ピサロの推薦で第8回印象派展に参加します。

ピサロは

スーラによって描かれた点描画は

筆触の色の濁りや不鮮明さから

逃れることが出来ると考え

スーラやシニャックを「科学的印象主義者と呼びます。

 

しかし、これまでの印象派の画家たちは

新印象派の考えには否定的でした。

スーラの私生活

スーラはマドレーヌ・のブロックというモデルとの

恋愛関係を隠していました。

そして、このマドレーヌと子供ピエールについては

スーラの死後知られることになります。

 

スーラは1891年3月29日に31歳の若さで亡くなります。

死因は不明で髄膜炎や肺炎、感染症狭心症など

様々な憶測がされていますが

スーラの息子も同じ病気でスーラの2週間後に亡くなります。

そしてスーラの最期の作品

「サーカス」は左が未完成のままでした。

*サーカス

ゴッホへの影響

後期印象派の画家ゴッホ

スーラの点描画には理解を示し

またスーラが着目した

ドラクロアの補色についても

自身の絵に取り入れています。

 

しかし、点描画の特徴である

色は濁らないけど

形を描く時の不自由さや

動きのある表現に向いていないという弱点を

見抜いていたそうです。

 

いかがでしたでしょうか

スーラは物静かで勉強家だったといわれていて

いつも一分の隙もない

服装で几帳面だったそう…。

そんな彼のことを百貨店の売り場係のようだ

といった人もいたそうです。

 

しかしある人はスーラ

「彼はおとなしいが

頑固で実際にいかなる挑戦にもひるまない」

いったそうです。

 

だって考えてみてください。

幅3mもあるあの絵

全部点…で描いたんですよ…。びっくりびっくり

 

その忍耐力と執念…

すさまじいです…。

科学と芸術を融合させた画家の執念の1枚です。

 

そしてその点描画の理論は

現代のスマートフォンやカラーテレビ

にも活用されているんですよね…

*テレビ画面を拡大するとRGBの画素が並んでいます。

 

スーラがいったこの言葉

「パルテノン神殿のフリーズは

神々が行進をしているように列を作っている。

私も、このフリーズのように

現代の人々の行進を永遠に残してみたかった」

 

スーラが編み出した点描画は

絵画から

スマートフォンやカラーテレビという

形を変えてその理論を

永遠に残すことになりました…。

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!