山六郎 | DESIGN STUDIO COLOR CODE

山六郎

山 六郎(やま ろくろう、1897年 - 1982年)

クリエイターの類いが美を追求する時に西洋の美(アカデミックでもサブカルチャーでも)に憧れるのは今は始まった事ではなく・・・
特に女性の美への関心はどう西洋的な美に近づくことが出来るか・・・
それをどう大衆に伝えて行くか、そう動き出した大正時代には、遠い地の西洋に対する漠然とした憧れが日本人の中に芽生えたのですね・・・

「東のレート(平尾賛平商店)西のクラブ」と言われた大正時代の化粧品メーカーの競争において・・・
広告宣伝に使われたのが日本のグラフィックデザインのはじまりです

その「西のクラブ」と称された中山太陽堂(現クラブコスメチックス)が同社のPR誌を発行するために設立されたのが「プラトン社」
その「プラトン社」が1922年(大正11年)5月に発行したのが「女性」・・・
その装丁とロゴデザインを担当したのが高知出身の「山六郎」です・・・

$DESIGN STUDIO COLOR CODE


今のDTPの様にコンピュターを使わない自由な発想から描き出される曲線が美しい書体はとても真似できません・・・
七月特別號の「月」の横線なんてなかなか発想できるものではありません・・・
活字印刷が主流の時代・・・手書きのロゴはきっと斬新だったのでしょう・・・


その他に

$DESIGN STUDIO COLOR CODE



$DESIGN STUDIO COLOR CODE


こんな装丁をしたり・・・

そして、これは「フランダースの犬」

$DESIGN STUDIO COLOR CODE



この時代、すでに何刊か訳本が発行されていたらしいですが・・・
日高牧師による訳では「ネルロ」が「清きよし」「パトラッシュ」が「斑ぶち」とされたいたらしい・・・

この装丁は今の時代に置き直すなら、プログラミング難解なインタラクティブアートを見る様に、斬新で美しいものだったのでしょうね・・・