7月25日は、自宅サロンオープン7周年の記念日でした!
なぜ7月25日なのかというと、
7年前のこの日は“大安”
マヤ歴の“時間を外した日”
2010年の引っ越しの初日
何かとタイミングが合う日なので、いいかみたいな軽いノリで決めました
それまで勤めていたサロンが6月で閉店になってしまったので、
そこでの経験を活かし、続けていきたいと思って始ったのです。
ですから独立記念日でもあり、リセットの日でもあります。
オープン当初はオーラソーマのプラクティショナーでした。
いつかティ―チャーになって美しい色の世界をもっと広めていきたいと思っていましたが、
その後、色々学びを重ねていくうちに方向転換をして
今はエリックスエッセンスティ―チャーと、
ハート瞑想ティ―チャー、ELC(本質を生きる)コンサルタントとして活動しています。
そして今までこのブログでは触れてきませんでしたが、
私のもう一つの職業は、ピアノのティ―チャーです
最近、ヒーリング系の学びとピアノにとても興味深い関連があることに気づいたので、
今日から何回かに分けて書いていきたいと思います。
私は小学3年生の時にピアノを始めました。
そして高校は地元の音楽科へ、その後東京の国立音楽大学へいきました。
早いものでピアノを始めてから半世紀以上になり、
ピアノ教師歴は40年以上になります
最初の生徒は、重度の自閉症の男の子でした。
大学卒業後、2年半ほど神奈川県逗子市に住んでいました。
その頃、藤沢に『キラキラ星園』(園長 本多正明)という
アメリカの「ドーマン法」を行う重度障がい児母子通園施設があり、
私はそこで、その訓練のお手伝いをしたり、朝の会での歌の伴奏や、リトミックで遊ぶ
などの活動をしていました。
「ドーマン法」というのは、アメリカのドーマン先生が考えた訓練法で、
使われていない脳を刺激して損傷した部分を補おうとするものです。
当時、落馬により重傷を負った騎手がドーマン法によって奇跡的な回復を遂げたことは有名でした。
ドーマン先生の本を翻訳し、日本に紹介したのが本多先生です。
その園には様々な障害を抱えたお子さんが通ってきました。
脳性麻痺の女の子、水の事故で脳に重い障害を残した子、ダウン症、
自閉症、てんかん発作などの重い合併症をもつ子。。。
ある5歳の脳性麻痺の女の子は、何もできません。
でもとても綺麗な目をしていました。
目の微妙な動きでYesとNoを訴えます。
目だけで会話ができます。
嫌いな人に触れられると全身を硬直させ抵抗します。
反対に大好きな人や大好きな曲で訓練すると、関節がゆるゆるになります。
泣いたり笑ったり怒ったり、一生懸命に生きる子供たちや、
残された可能性を信じるお母さんたちの姿は本当に素晴らしかった!
真に『生きる』姿でした。
そしてこの園で、私は運命の出会いをします
それは文明君という当時6歳の重度自閉症の男の子
まだ一つの単語も話さず、落ち着きがありません。
電車が好きで、目を離したすきに反対方向の列車に乗っては、千葉県で保護されるような状態でした
でも音楽が大好きで、よく鼻歌を歌っているのですが、その音程とリズムが正確なので、私にとっては気になる存在でした。
そして彼の方も、私のことが気に入ったらしく、ある日、スーッと顔を近づけてきて私のおでこにキスをしたのです
そんな様子を見て、ある日お母さんは私に「文明にピアノを教えて!」と迫ってきました
「文明の先生は、平田先生しかいないのよ!」と言うお母さんの熱意に戸惑いました。
近頃は障害者のピアニストの話題も耳にしますが、当時は小学校の受け入れも難しい状況です。
自閉症の子にピアノを教えるノウハウを教えてくれる人も、そのような例も聞いたことがありません。
誰にも相談できず、何を教えたらよいのかわからず、自信など全くなく、
ただ私は文明君を大好きだったし、このご両親の支えがあれば奇跡が起きるかもしれないと
悩んだ末に「やってみましょう」と引き受けたのでした。
最初は当然のこと、ほとんどピアノの前に座ることはなく、トイレに行ったり、あちこちの扉を開けたり...
でもかまわず、無理にさせることはせずに、
聴いていることはわかっているので、
私は弾いて歌って聴かせること続けました。
ほんの少しでも座ってくれたら、ちょこっとだけ触らせる、のように
細かなことは忘れてしまいましたが、一ヶ月程で少し弾いてくれたと思います。
それからは想像以上にできるようになり、一年でしっかり両手で弾いていました
でも楽譜は全く見ないで、音を完璧に覚えます。
そして、このようなお子さんの特徴ですが、一度覚えたら忘れないのです。
私は残念ながら一年半ほどしか関われませんでしたが、その後はお父さんが引き継いでくださいました。
そして文明君はどんどんレパートリーを増やして、学校内の有名人になります。
それと同時に噂を聞いた方から頼まれるようになって、
ついには脱サラして障がい児のピアノ教室を始めることになったのです。
その一連の流れが『僕もピアノが弾けたよ』に書かれています
私の若かりし頃の写真ものっています
『キラキラ星園』の園長本多先生は小児科のお医者様で、
週末は自宅医院を開放して、神奈川県外からのお子さんをみていました。
私はそちらもお手伝いしていたのですが、そこではご両親の話しを聞いたり、お子さんを観察して、
記録をとったり、時にはご両親を励ますなどの仕事をしていました。
たった2年半でしたが、この間にたくさんの障害のある子どもたちやご両親に出会い、
貴重な経験をさせていただきました。
本多先生は世間の眼を気にせず、一匹オオカミで戦っていた。
本多先生は、私に自然治癒力を教えて下さいました。
どんな小さなことでも気づいて褒めること。
工夫すること。
観察すること。
注意深く聴くこと。
たくさん学びました。
文明君のお母さんがいつも口癖のように言っていたこと。
「この子には使命があるの!」
「何があっても大丈夫」
その頃の私は「使命」なんて考えたことすらなかったし、
「大丈夫」
どうしてそう言えるの?という愚か者でしたが、
ようやくわかってきました。
私は子育てしている時も、ピアノを教えている時もいつも成田さんを思い出していました。
愛すること。
感謝すること。
可能性を信じること。
信頼すること。
諦めないこと。
仲良くすること。
他にもたくさん、教えてくれました。
つづく
お知らせ
成田さんの本に興味のある方はご連絡ください。
Color of Tree 五月女文枝