大震災以来、私の住む東京でもずっと余震が続いている。

昨夜も、連日の睡眠不足で夜の早いうちからウトウトとしていたら、

弱い余震が来た。


さらにその後しばらくして、かなり揺れる余震があり、

家族と共に飛び起きてしまった。




何度繰り返されたか分からない、

節電の為、テレビだけを点けた暗い部屋の中

毛布に包まれながら互いにその時そのとき思ったことを話し合った・・・。



家人は寝ると言って自分の部屋へ引き上げたが、

私はそれきり眠れなくなってしまった。





今夜もまた眠れなくなったな・・・と思いながら

昨日一日の報道を繰り返し再生する深夜のテレビを眺めていると、



「予備自衛官と即応予備自衛官に召集令状が発令された」という

ニュースが更新された。



・・・宮城県で被災し、自宅兼店舗である酒屋は崩壊したという青年が、

  自宅の瓦礫を片付けているところへ迷彩服姿の自衛官二人が近づいてきた。


  青年の氏名を確認すると、召集令状が発令された由を伝え、

  小さな礼状を手渡した。



私は「召集令状」という言葉に衝撃を受け、

自衛隊員と言う名の軍人が個別に家々を訪れて

小さな令状を直に手渡すその映像に、涙があふれてきた・・・。




以前から、予備自衛官の投入を検討しているという報道は耳にしていたし、

被災の規模の大きさと時間を考えれば、

とにかく早い時期から大量の人員を投入すべきだと思っていた。



だから、予備自衛官が被災地で活動してくれることは嬉しいことだと思う。

正しい決断だとも思う。


なのに、実際の姿を目にしたら、

激しく心が揺さぶられるようなような涙が、頬を伝ったのだった。



 

 

 その青年は、母の目の前で、

 確かに受け取ったと軍隊式の応じ方で答えていた。


 

 立ち去るジープを敬礼で見送り、

 記者が、息子と良く似た面立ちの母親に感想を求めると、

 

 「本心は・・・

 

 でも、頑張ってきてください。


 こちらのことは心配しないでいいから」 と微笑むあたりで


 青年は、その細い目を真っ赤にうるませていた。





私はオイルショックベイビーと言われる世代なので

戦争を知らない。

しかし、遅い子供だったため、

私の両親は太平洋戦争を経験している。



 

 「この日の為に訓練をしてきたので、今行かなければ、5年10年

 生きている限り後悔し続けると思うので、精いっぱい頑張ってきます」


そう答えていた青年はきっと

被災民の為に身を粉にして働いてくれるに違いない。




いったいこの巨大な力によって日本列島の半分に押し寄せている不幸の数々は、

この国の人々にどの程度の影響をもたらし、いつまで続くのだろうか?