7月から天照探訪を開始しておりますが近況をご報告いたします。
添付写真はクリックすると拡大します。
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○第1回アマテラス現地調査(福岡)
1.日 時 2009.7.27(月)0800 ~ 28(火)1800
2.調査細部
・1日目(7/27)
・2日目(7/28)
①須玖岡本遺跡(春日市)
②平原遺跡(前原市)
③関連神社等
宗像大社(宗像市)、金印公園(福岡市)
・1日目(7/27)
①香春神社方面(香春神社、鏡山、採銅所)
②小石原方面(岩屋神社、城山他)・2日目(7/28)
①須玖岡本遺跡(春日市)
②平原遺跡(前原市)
③関連神社等
宗像大社(宗像市)、金印公園(福岡市)
3.参加者 宮内代表、稲葉
4.概要
①香春神社方面(香春神社、鏡山、採銅所)
香春神社は田川郡香春町にあり、祭神は辛國息長大姫大目命、忍骨命、豐比賣命
社前には、第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。 第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ。とありました。(写真参照)
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/01kaharujinjyayui.jpg
第一の岳は戦前から石灰岩採掘が始まり、現在は半分ほどになっております。
(写真は第一の岳、第二の岳、第三の岳の昭和初期と現在の写真です。)
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/02kaharusanzan.jpg
香春地方は採銅の痕跡があちこちにあり、古代からこの地方に外来人が入植し、銅祭祀器を多く作っていたと推定できます。香春神社の近くの鏡山も三種の神器の鏡に由来しているように思います。由緒から想像すると素盞嗚尊(天照の弟)と天孫族もかかわっている様です。
①香春神社方面(香春神社、鏡山、採銅所)
香春神社は田川郡香春町にあり、祭神は辛國息長大姫大目命、忍骨命、豐比賣命
社前には、第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。 第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ。とありました。(写真参照)
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/01kaharujinjyayui.jpg
第一の岳は戦前から石灰岩採掘が始まり、現在は半分ほどになっております。
(写真は第一の岳、第二の岳、第三の岳の昭和初期と現在の写真です。)
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/02kaharusanzan.jpg
香春地方は採銅の痕跡があちこちにあり、古代からこの地方に外来人が入植し、銅祭祀器を多く作っていたと推定できます。香春神社の近くの鏡山も三種の神器の鏡に由来しているように思います。由緒から想像すると素盞嗚尊(天照の弟)と天孫族もかかわっている様です。
②小石原方面(岩屋神社、城山他)
香春から南に約20キロの山間のところが小石原(焼物で有名)です。
岩屋神社は天の岩戸と関係があるかなと期待しておりましたが、由緒を見る限りではAC500年頃の仏教祖が開山した山でアマテラスとは関係ないようです。(残念!)
時間がなくなりましたので、帰ることにし、筑前町にある「城山」を最後の探訪地としました。(あるインターネット情報では小石原の天の岩戸に隠れたアマテラスを呼び出すために天宇受売命:アメノウズメノミコトがストリップをやった台が「城山」であるという記事がありましたので参考に頂上に登って調べることにしました。)
流石、筑紫平野のど真ん中で標高130.6mの山で筑紫平野が四周見渡せるところです。
戦国時代は山城も建てたそうです。アメノウズメノミコトがストリップをやる舞台としてはあまりにも目立つところだなと思いました。しかし筑紫平野を支配した古代の王はこの山から国を見渡していただろうと想像できました。(写真は城山山頂から西側の筑紫平野)
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/05siroyamatenbou.JPG
香春から南に約20キロの山間のところが小石原(焼物で有名)です。
岩屋神社は天の岩戸と関係があるかなと期待しておりましたが、由緒を見る限りではAC500年頃の仏教祖が開山した山でアマテラスとは関係ないようです。(残念!)
時間がなくなりましたので、帰ることにし、筑前町にある「城山」を最後の探訪地としました。(あるインターネット情報では小石原の天の岩戸に隠れたアマテラスを呼び出すために天宇受売命:アメノウズメノミコトがストリップをやった台が「城山」であるという記事がありましたので参考に頂上に登って調べることにしました。)
流石、筑紫平野のど真ん中で標高130.6mの山で筑紫平野が四周見渡せるところです。
戦国時代は山城も建てたそうです。アメノウズメノミコトがストリップをやる舞台としてはあまりにも目立つところだなと思いました。しかし筑紫平野を支配した古代の王はこの山から国を見渡していただろうと想像できました。(写真は城山山頂から西側の筑紫平野)
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/05siroyamatenbou.JPG
下山して、城山の東側の麓に偶然、古墳を見付けました。
説明版によると国指定史跡焼ノ峠古墳(写真:説明板と全貌)です。
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/04yakinotougezenbou.jpg
説明版によると国指定史跡焼ノ峠古墳(写真:説明板と全貌)です。
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/04yakinotougezenbou.jpg
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/amaterasu/03yakinotougesetumei.jpg
3世紀後半で九州最大の前方後方墳(後円ではない。)だそうです。
宮内代表の推定では卑弥呼の死亡後に築造された古墳であり、筑紫平野の王(卑弥呼)の墓ではないかということで後日、再調査をすることとしました。
(後日談:筑前町文化財事務所を訪問し、発掘状況と推定について伺いました。以下その時の質疑です。)
Q1:発掘調査概要を教えてください。
Ans:パンフの通りです。3世紀後半の前方後方墳(前方後方墳の中では九州
一大きい)です。
Q2:石棺等は出てこなかったのですか?
Ans:出てきませんでした。周溝からは壺等が数点出ております。
死者を埋葬した主体部は狭小な丘陵上に立地するため、流出したものと思われます。試掘で丘陵の岩盤が出てきたので、そのように判断しています。
Q3:衛星写真を見ると後方墳を取り巻く方形地が確認されますが、古墳の築造時はもっと大きかったのではないでしょうか?(宮内代表作成写真を見せながら質問)
Ans:取り巻く方形地は昭和46年の農地改良事業の後のものです。元々古墳の大きさは同じものです。丘陵の地山を削り出し整形、後方部の二段目に盛土を盛っています。(添付写真、古墳全貌参照)
Q4:この古墳は築造期3世紀後半とされていますが、炭素年代測定でもやられたのでしょうか?
Ans:築造期の判断は出土品の年代記で判断しております。この時期の炭素年代測定は誤差が大きくなりますので通常はやりません。
Q5:年代から言って卑弥呼の墓とかは考えられませんか?
Ans:この地区の一豪族の墓と思いますが、考古学上からは卑弥呼云々という関連の話は言及しないことにしています。その辺の話に興味があるのであれば須玖・岡本遺跡や平原遺跡の歴史館で聞かれたら、その方面の話好きな人がいると思います。
Q5:城山は「ジョンヤマ」と言われているそうですが由来をご存知ですか?
Ans:城山は三輪地区の方はそう呼んで、小郡地区では花立山と呼んでいますが多分、戦国時代に山城が築かれており、その頃に城山と呼ばれたのではないかと思っています。
3世紀後半で九州最大の前方後方墳(後円ではない。)だそうです。
宮内代表の推定では卑弥呼の死亡後に築造された古墳であり、筑紫平野の王(卑弥呼)の墓ではないかということで後日、再調査をすることとしました。
(後日談:筑前町文化財事務所を訪問し、発掘状況と推定について伺いました。以下その時の質疑です。)
Q1:発掘調査概要を教えてください。
Ans:パンフの通りです。3世紀後半の前方後方墳(前方後方墳の中では九州
一大きい)です。
Q2:石棺等は出てこなかったのですか?
Ans:出てきませんでした。周溝からは壺等が数点出ております。
死者を埋葬した主体部は狭小な丘陵上に立地するため、流出したものと思われます。試掘で丘陵の岩盤が出てきたので、そのように判断しています。
Q3:衛星写真を見ると後方墳を取り巻く方形地が確認されますが、古墳の築造時はもっと大きかったのではないでしょうか?(宮内代表作成写真を見せながら質問)
Ans:取り巻く方形地は昭和46年の農地改良事業の後のものです。元々古墳の大きさは同じものです。丘陵の地山を削り出し整形、後方部の二段目に盛土を盛っています。(添付写真、古墳全貌参照)
Q4:この古墳は築造期3世紀後半とされていますが、炭素年代測定でもやられたのでしょうか?
Ans:築造期の判断は出土品の年代記で判断しております。この時期の炭素年代測定は誤差が大きくなりますので通常はやりません。
Q5:年代から言って卑弥呼の墓とかは考えられませんか?
Ans:この地区の一豪族の墓と思いますが、考古学上からは卑弥呼云々という関連の話は言及しないことにしています。その辺の話に興味があるのであれば須玖・岡本遺跡や平原遺跡の歴史館で聞かれたら、その方面の話好きな人がいると思います。
Q5:城山は「ジョンヤマ」と言われているそうですが由来をご存知ですか?
Ans:城山は三輪地区の方はそう呼んで、小郡地区では花立山と呼んでいますが多分、戦国時代に山城が築かれており、その頃に城山と呼ばれたのではないかと思っています。