今観たい映画としてブログトップにタイトルを書いた「いつか読書する日」。
この映画については春岡勇二氏が論評している記事に一番興味を惹かれたので参照したい。
以下は春岡勇二氏筆の原稿そのまま
上質のラブストーリーは常にサスペンスの要素を含んでいる。
田中裕子と岸部一徳が、30年以上も思いを胸に秘めた女と男を演じたこの作品も、そんな一本だ。
二人は同じ町に住む同級生。
女は一人暮らしで、毎朝牛乳を配り、昼はスーパーのレジを打つ。
判でついたような毎日。
だが、本人はそれを厭わず、きびきびと過ごしている。
男は市役所に勤め、二十数年連れ添った妻が末期癌で自宅介護している。
初め二人の関係はわからない。
なのに、二人が同じ画面に映っているだけでどきどきするのだ。
例えば朝の路面電車の停留所。
男が並んでいる。
女が自転車で前の道を通りかかる。
さりげなくその方向から視線を移す男。女も男を一瞥もせず走り抜ける。
次いで電車に乗った男の肩越しに自転車の女が映る。
二人は視線を交わさない。
けれど観客は二人がただならぬ関係にあることを直感する。
視線の映画だ。
交わされる視線ではない。
交わされない視線に抑えられた情感が積み重ねられている。
だからふと交わされた一瞬に情感が一気に溢れ出す。
主演二人の無表情も、視線と同じ役割を果たしている。
内に豊で複雑なものを秘めた無表情。
それはなにもせずに気持ちを表す。
見事な演技だ。
交わされない視線と無表情。それだけで息が詰まる。
他になにがあるか。肉体である。
この映画は田中裕子が長い坂を息を切って走りながら牛乳を配る。
その子気味いいリズムに貫かれている。
それは同時に彼女の肉体を意識させ、クライマックスへとつながっていく。
穏やかだが激しい、恋愛映画の秀作だ。
