日本陸連主催の日本選手権は来年から、日本人選手以外の出場を認めないことを決定した。
日本で生まれ育った外国籍競技者や日本国籍を有する者については例外を認めてはいるものの、実質外国からの参戦や日本に留学している外国人の参加が不可能になった。
実際今年の男子5000mでは上位6位までを外国人選手が独占した。
トップから46秒遅れでゴールした日本人選手が優勝者として表彰された。
かつてのマラソンランナーで日本陸連理事の瀬古利彦氏は「こんなレースで表彰されても誰も喜ばない。世界と戦っていくためには<日本選手権>で『日本一』になったという自信をつけるのが重要。」と主張した。
反対意見もあったが多数派が押し切った。
※ 以上は朝日新聞の記事から抜粋したものである。
瀬古理事が言うところの「こんなレースで表彰されても誰も喜ばない。」揚足をとるつもりはないが、正しい表現としては「こんな成績で表彰されても誰も喜ばない。」ではないだろうか。
瀬古理事は日本人だけで走って『日本一』つまり日本チャンピオンになった自信をつけるのが重要と言いたかったのだろう。
だが、外国人選手が参加していれば、日本にいながらにして世界のトップランナーの走りを間近に見ることができるのだ、これほど素晴らしい環境を排除しようとする背景に企業に籍を置く陸上競技クラブという姿が垣間見える。
陸上競技という純粋な立場からの見解ではなく実績を挙げてこそ陸上競技クラブの存続があるという苦渋の選択であったことがうかがえる。
それら指導者や競技者の気持ちを理解したうえで、あえて言いたいことは、そんな小手先の小細工で作られた『日本一』になんの意味もないということ。
世界を目指すなら、少しでも早く、多くの機会に世界を見る必要があるのではないか。
1984年ロス・オリンピック男子マラソン、日本人の誰もが瀬古選手の優勝を信じて疑わなかった。
しかし彼は後半ずるずると後退していった。
そしてレース後彼はひどい下痢だったことを打ち明けた。
慣れない海外での体調管理の難しさという面で同情する余地はあったのだが、私自身はそれ以前の日本陸連がオリンピック代表に瀬古を選出したいがための特別ルールを急遽設けたことを思い出した。
『強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ』私の好きな言葉なのだが、これはスタート位置に立つまでの行程が重要なのであって<スタート位置に立った参加者全員に勝つチャンスがある>ということだと理解している。
そういう意味で2000年のシドニーオリンピックで高橋尚子選手を選ばなかった日本陸連の選択にロスオリンピックで苦汁の経験をしたことがシドニーでの良識となったと安堵していたのだが。
ロスオリンピックで特別扱いで参加し、大失敗した当事者が、今回の日本選手権で世界を見ず、目先の汚れた栄誉に走ったことが残念でならない。