手荷物検査では精一杯の笑顔で「23時になってないけど帰ってきたんだけど、なあんだ通れるんだ!」と言ったつもりだが、この皮肉は誰にも通じていないようだ。(そうまるでタイと宮崎に住む日本人の寒いギャグのように)
手荷物ゲートを通過し、中に入るとすでにそこは中国人のそれぞれの団体で溢れんばかり、なんとか隅のほうに空いている席を見つけて座った。
しばらく経った頃、騒がしさに大きな待合室の中心の方を見ると、CDG空港の職員によって毛布が配られていた。
慌てて毛布をもらいに行ったが、もう配っている職員の遥か手前で毛布はなくなってしまった。
当然人数分の毛布が配られるものと信じて待ってみたが、二度と毛布が配られることはなかった。
間違っている、絶対に間違っている、CDG空港の中途半端な対応は絶対におかしい。配るなら人数分ちゃんと用意すべきだ、そう思いながらも元の席に戻った。
また数十分が経過した頃、館内マイクを通してではなく、一中国人女性が大きな声で何か説明しているような感じで話を始めた。
そしてその女性が話し終えた後、中国人団体から歓声と拍手が巻き起こった。
ここで注意しておきたいが、あくまでも歓声と拍手であった。そうまるでこの待合室で誕生日を迎えた人を祝うような歓声と拍手であったことは正確に記しておきたい。
それからさらに10分後、フランス語の館内放送があった。
何を言っているのか全くわからない、通常フランス語放送の後に英語アナウンスがあるから必死で聞き逃すまいと集中して待ってみたが英語のアナウンスは最後までなかった。
そうこうしているうちに毛布を抱えていた中国人の中から、別の中国人に毛布を渡したり、集めたりする人が現れた。
追加の毛布がもらえるのかもしれないと思い、空港職員のいるカウンターに行くと、職員の方から「ボランティアの人ですか?」と逆に英語で聞かれた。
事情を聞いてみると「朝の便と夜の便を合わせて今日は1便しか出発しないことになったとのこと。
だからSTAYするボランティアを人数制限で募集している、そして空港近くのIbisホテルを手配し、夜食と朝食にプラス300ユーロ(約4万2千円)を明日現金で空港内で支払う」との説明だった。
ここまで遅れていて、しかもすぐには到底出発出来そうもないと、とっさに判断し、また集合時間も明日の16時ということもあり、この旅がトラブルの連続(後日記)だったこともあってボランティアを申し出ることにした。
明日の仮搭乗券を空港職員から受け取ると、先ほどなかなか通れなかった手荷物ゲートとパスポートゲートを出て、空港12番出口からIbisホテル行きのシャトルバスに乗車し、ホテルで宿泊するようにと言う。
あのゲートをまた戻るのか、戻る距離よりもゲートを通れるのかどうか不安だったが、もう出るしかない、自分で決めたことなのだから。
そして手荷物ゲートを出ようとすると、検査官が呼び止める。
「やっぱりかよ!」と振り向くと、「そっちは入場口だ、出口はあっちだ」と教えてくれただけだった。
約300mの動いているMWは、一泊することが決まったこともあり、それほど遠いとは感じなかった。
そしてパスポート検査のゲートに到着、そこには既にSTAYを申し出た中国人団体約20人が並んでいた。
実際のSTAY希望者はもっと多数のはずだと思ったが、もう随分時間が経過していることから推測しても既にゲートを出ているのだろう。
そんなふうに推測してみたが約20人の団体はゲートを通れないようだ。
そして警官詰め所から責任者らしき人物が出てきて英語で説明を始めた。
「貴方たちひとりひとりを記憶して通過させるようなことは当局として出来ない、ちゃんとした報告書類も来ていないのだから。」といった内容だった。
ようし、書類を作ってもらって来ればいいんだな、再び手荷物ゲートへと動かないMW上を300m歩いた。
そして先ほどホテルの手配を説明してくれた空港職員にそのことを話するとすぐに電話をかけ、「日本人3名、名前は○○○シルブプレ」といったかどうかは知らないが話をつけてくれた。
再び今度は動いているMWを300m、パスポート検査ゲートへと戻る、これで3往復完走だ。
ゲートでは先ほどの団体の代表がまだ交渉していた、その横を通り抜けようとするとポリスが制止しようとするが、警官詰め所から一人が出てきて「日本人3人なら通過させてもいい」というようなことを言ったのだろう、無事通過できた。
後方で中国人団体が騒ぎ始めたが、もうそのことに関して考える気力はなくなりかけていた。
つづく