10数年くらい前にKYT が職場に導入されて以来「危険」というものについて日常の生活の中にも多くの危険が存在することが具体的な形や言葉となって現れた。

 安全意識が高まったのはいいことだが、幾分臆病になったような気もする。

 先の見えないコーナーで追い越しをかけたりしていたバカにまで戻らなくてもいいけど、危険に対して敏感になりすぎていたと思えるときもあったように思う。

 プラットホームの先頭に立たない。

 車間距離に余裕をとる。

 これらはその場所や状況に応じて注意すればいいこと。

 今、それらの日常生活において全く異質なものについてKYTを認識必要のある時代となってきたのではないだろうか。

 本来のKYTは悪人の登場は考えに入れない、偶然や不注意から起こる危険や事故を防ぐためのものである。

 しかし、今最も危険なのはそれら物理的に起こる事故ではない。

 それは治安の悪化であり無差別的暴力者の横行。

 深夜の帰宅途上やコンビニ、あるいは深夜でなくとも人気のないトイレなどの密室空間。

 成人男性であっても危険な時間帯やエリアに立ち入るには慎重にならざるをえない。

 

 「TPO・KYT」とでも呼ぶことにする。


  つづく