泣ける
この言葉にはさまざまな定義が込められていてそれを凝縮して「泣ける」という言葉として一般的に使われるようになったことは理解している。
しかし、この「泣ける」という言葉が嫌いだ。
商業主義の薄っぺらな表現の最たるものだと思っている。
そういった言葉が会話や文章の中に頻繁に登場してからもう随分時が経った。
時の経過とともに自分の中で受け入れるようになってくるものかと考えていたが逆だった。
<泣ける映画><泣ける曲>こういった表現の中に自分が大切にしているものが含まれていたとき、心のどこかで「本当にこの作品の素晴らしさを貴方は理解していますか?」と問いたくなるくらい、この「泣ける」という表現を嫌悪するようになってしまった。
どうしてだろう、自分なりに考えてみた。
泣ける映画っていったいなんだろう、<泣ける映画>=<名作>ですよという集客方法をとっている商業主義に対する嫌悪感が自分の中で増幅してしまって、一般の人が<泣ける>という表現を使うことにも過剰に反応してしまっているだけなのかもしれない。
話が戻るが、<泣ける映画>=<名作>と思っている人たちが大勢いることも事実だ、自分の周りにもいっぱいいる。
完全否定するわけでもないし、個人の自由を束縛するつもりもないが、もう少し視野を広げてみてはどうかとも思う。
逆に多くの人たちが「イイ」というものにわざと背を向け「こっちのほうがイイ」という人もいる。それも自由だ。ただ本当に本心からそう思って言っているんじゃない人は、会話の端々にボロが出る。
ああ、この人は本当はみんなが「イイ」と言っているものを認めているのに、素直に「自分もそうだ」と言えない気の毒な人なんだと同情してしまう。
<泣ける映画>を<いい映画で、思わず涙が出てしまう映画でした>と変換して表現してもらわないと納得できない自分も、素直じゃない気の毒な人間だと気がついている変な奴のひとりごと。