どうも昨日頑張った反動が来たのか・・・
今日やったほうが良いことが余り終わっていない気が・・・
しかも奥さんと家でガッツリと飲んでしまいました。

ふらふら~にひひ

本当はこんなんじゃいけないんですが、
最近はちょっと精神的なテンパリ具合が半端なくての~

がははのは!

・・・えぇ、意味は全くありませんよ、上の一文は。
ってな感じで、明日からまた5時起きざんす。
明日を少しでも楽にするためにここから仕事やるぜい。
やっぱりふらふらなんですけどね。
できる範囲でやっていこうと思っています。
原発関連のニュースも落ち着いてきているわけではないにしても
以前よりは冷静になってきているようにも思われますね。
このままフェードアウトしてしまうわけにはいきませんが、
熱い議論を冷静に行ってほしいものです。

さて、原発問題は色々意見を言ってきたつもりですので、
今回は売り上げの1%を義援金として送ります、というものについてです。
こういう言い方が良いのかどうかはわかりませんが、うまいやり方です。
消費が心理的に落ち込みやすい局面において、
消費をすることで貢献できるんですよ、と言って消費を促すわけです。

個人的には何となくそれをしないといけないような雰囲気になっている点に懸念はありますね。
とはいえ、企業としても売り上げを出さないといけないわけで、
苦肉の策ということができるかもしれませんね。
言ってしまえば、それによる収益源は否めませんからね。
消費をしないと経済が回らないから、無事だった所は自粛の行きすぎに注意しよう、
といってもなかなか心理的には難しい所で、
その対応としては仕方ないのだろうとは思いますが、企業も辛い所ですね。
行きすぎて企業の体力を奪うというのでは問題だと思いますね。
ただでさえデフレで厳しいんですから。
今年のスギ花粉はだいぶ終わった、と聞いていたのですが、

東京方面に行くとだめですね。

埼玉なら大丈夫だったのに~


これが、コンクリートによる吸収不足ということですか?
となりの件であるにも関わらず、ひどい目にあっています。
あ~、辛いわ~
相場は勉強したら勝てるのか、
と問われれば、勝てる可能性が高まるかもしれないといった所でしょうか。
言いかえれば、高まらないかもしれないと思っています。
逆に知識が邪魔をすることもないとは言えないでしょう。
そして、相場の怖い所は勉強しなくてもビギナーズラックで勝てることがある、ということです。
その点において努力をすればいいというものではない、と思っています。

それならば、勉強をしなくてもいいのか?


という疑問にぶつかることになります。
この辺りは本当に難しい所なのですが、
それでもやったほうがいいというのが個人的な結論です。
昔から漠然とそう考えていたのですが、最近読んだ本である『下流志向』(内田樹氏)、
これは何度か紹介したように思っていますが、
これを読んで多少整理できた所でもあります。

現代社会において、学歴は絶対のものではなくなってしまった。
つまり、学歴を得るための努力は一見すると不要になってしまったように見えるわけです。
しかし、絶対のものではなくなったが、それでもまだ残ってはいる。
そしてそれを利用している人もいる、という現実があるわけです。
しかし、下層家庭の子供たちは格差は己の努力不足にはない、という主張する親に育てられ、
学歴というものを信じられなくなってきている、という論理です。
そして、努力をすれば必ず報われる、と教わった子どもに比べ、
努力に対するモチベーションに決定的な違いが生じる、ということになるわけです。

この考えって、相場と勉強の態度と似ているな、と思いましね。
役に立つかどうかわからないわけです、相場の勉強って。
どれだけ努力しても負ける時は負けるわけですし、
努力しなくても勝つ時は勝つのです。

それならば、勉強をしなくてもいいのか?

再度この問いが出てくる訳ですが、
役に立つかわからないものであっても、
その努力を信じて勉強できる人が勝率をわずかながらでも上げることができる、
ということができるのではないかと思うんですよね。

とはいえ、問題はその先にあるとは思っています。
努力こそが足を引っ張ることがある、という認識を持てるかどうかですね。
それこそが相場の本当の難しさだと思っています。
風呂に入っていて、さっきの真実の話を考えていたら、
面白い(?)たとえが思い浮かんで、どうしようかなと思ったんですけど、書いておきます。

これは宗教的な話が入り、ちょっと理解が浅い可能性もありますが、
うちの奥さんに聞いたところによると、
キリスト教において、死後の世界はあるわけです。
神を信じていると天国へ、信じていないと地獄へ行くそうです。
これが仮に真実だとしましょう。
で、これを信じずに地獄へ行った人に対して、真実を言っていた人がいたのにね。
そういった人の言葉を信じないで・・・というふうになるでしょうか。
もしかしたら、天国に行く条件は仏教を信じることかもしれません。
南無阿弥陀仏と唱えることが条件かもしれません。
それに関してはわからないことです。
しかし、キリスト教であっても仏教であっても、イスラム教であっても
その考えを信じたほうが良いよ、という人がこの世にはいるわけです。
しかし、どれを信じるかは自由といいますか、考え方次第です。
で、信じなかった方は意図的に排除していくわけです。
騙されたくて騙されたのではなく、選んだ結果が良かったり悪かったりするわけです。

そう考えると、やっぱり結果論で責めるのは違和感があるんですけどね。