私の激動?!結婚生活を書きます。
夫とは6年付き合って出来ちゃった婚。
結婚と同時に悲劇のヒロインタイプ+上げ膳据え膳の義母と同居。
夫は関白、その状況でとしごで子供が生まれ、
下の子が生まれて里帰り中に夫がスキーで怪我をして入院。
夫は、その入院先で出会ってしまった彼女と2年に渡る大暴走。
私も至らなかったと思うことがたくさんあったけど、
「好き」になられてからでは遅いこと、たくさんあると思ってます。
気持ちに歯止めはかけられないですよね。
本能だもの。
だから苦しくて辛くて毎日泣いてた。
私の母は兄を連れて、まだ若い頃に父と再婚。
再婚後、私と弟二人を産んで父の実家である土地に家を建て生活。
よって親戚は近所中に。
今となっては離婚・再婚はざらだけど、当時では稀。
さんざん肩身の狭い想いをしながら年数をかけ、
父の両親にも兄弟関係にも溶け込んで和やかに暮らしている母を思うと、
実家にも帰るわけにはいかなかった。
「離婚」
考えなかったわけじゃない。
でも義母の元で同居しているわけだから、夫を追い出すこともできない。
イコール生活のすべが何もない。
どうにもできない状況で一度は子供を連れて無理心中を覚悟。
片道6時間かけて富山の海の岸壁に立ったの。
でも死ねなかった。
子供は受身。
環境は選べない。
子供を作ったのも自分の勝手。
なのに、勝手に作って勝手に殺す・・・?
そんな自分の身勝手が許されるほど、聞き分けの悪い子供たちではなかったの。
ホントに私には出来すぎてるんじゃないかって思うほどいい子達で手がかからなかった。
そんな子供たちに環境を守ってあげられない自分が情けなくて申し訳なかった。
かといって一人で死ぬこともできなかった。
私が自殺すれば、この子たちには一生「この子の母親は・・・」とついて回る。
「生きる」
それしか私には道が残されてなかった。
それから私は変わった。
「生きる」ための手立てを必死に考え、夫との修復を試むために義母の家を出た。
夫の気持ちは・・・すっかり彼女一色だったけど、
子供好きではなかった兄から見て「義父」の背中をずっと見ていた私は、
子供たちに夫と離婚して「義父」を作ることは出来ない、と思っていた。
それは今も同じ・・・。
だから彼女から引き戻すために、
又、同じ暮らしていくのなら夫と楽しく暮らしたいと、
冷たい夫だったけど夫の実家を出て5年、あらゆる方向から夫婦修復に努力した。
でも・・・ダメだった。
努力しても努力しても夫は冷たく、私は半ば諦めていたときに決定打が。
些細なことで喧嘩になった。
私にも非はあったと思ったから謝ったけど夫は私を許さない。
夫は自分の思った通りに出来ないヤツは捨ててく派。
わかってるけど、100%は約束できないと思った私はそれを話した。
きっとこれが「性格の不一致」
そんな風に思った。
でも約束して出来なかったら、それこそ大変。
夫は折れない。
「じゃあ、どうしたらいいの?」と聞く私に、
「お前しだいだ」って言葉が返ってきた。
私の中で何かかが切れた。
「また私・・・。こんなに努力してきたのに、それでもまだ私が頑張らなくてはいけないの・・・?」
もういい。
そう思ったとき、夫への努力は全てやめた。
一緒に笑おうとした努力も、
帰宅したときに和やかな雰囲気で迎えることも、
美味しいご飯を、と思っていたことも、
キレイな妻であろうと思っていたこと全て・・・。
そして私は外へ目を向けた。
重くてごめんなさいf^^;
でも私の現実です。
人間、墜ちるところまで墜ちると強くなるものですね(笑)
やっぱり「母は強し」です^^
そして、こんなことに続きます^^;→ [http://blogs.yahoo.co.jp/collone37/25403329.html やけど]
夫とは6年付き合って出来ちゃった婚。
結婚と同時に悲劇のヒロインタイプ+上げ膳据え膳の義母と同居。
夫は関白、その状況でとしごで子供が生まれ、
下の子が生まれて里帰り中に夫がスキーで怪我をして入院。
夫は、その入院先で出会ってしまった彼女と2年に渡る大暴走。
私も至らなかったと思うことがたくさんあったけど、
「好き」になられてからでは遅いこと、たくさんあると思ってます。
気持ちに歯止めはかけられないですよね。
本能だもの。
だから苦しくて辛くて毎日泣いてた。
私の母は兄を連れて、まだ若い頃に父と再婚。
再婚後、私と弟二人を産んで父の実家である土地に家を建て生活。
よって親戚は近所中に。
今となっては離婚・再婚はざらだけど、当時では稀。
さんざん肩身の狭い想いをしながら年数をかけ、
父の両親にも兄弟関係にも溶け込んで和やかに暮らしている母を思うと、
実家にも帰るわけにはいかなかった。
「離婚」
考えなかったわけじゃない。
でも義母の元で同居しているわけだから、夫を追い出すこともできない。
イコール生活のすべが何もない。
どうにもできない状況で一度は子供を連れて無理心中を覚悟。
片道6時間かけて富山の海の岸壁に立ったの。
でも死ねなかった。
子供は受身。
環境は選べない。
子供を作ったのも自分の勝手。
なのに、勝手に作って勝手に殺す・・・?
そんな自分の身勝手が許されるほど、聞き分けの悪い子供たちではなかったの。
ホントに私には出来すぎてるんじゃないかって思うほどいい子達で手がかからなかった。
そんな子供たちに環境を守ってあげられない自分が情けなくて申し訳なかった。
かといって一人で死ぬこともできなかった。
私が自殺すれば、この子たちには一生「この子の母親は・・・」とついて回る。
「生きる」
それしか私には道が残されてなかった。
それから私は変わった。
「生きる」ための手立てを必死に考え、夫との修復を試むために義母の家を出た。
夫の気持ちは・・・すっかり彼女一色だったけど、
子供好きではなかった兄から見て「義父」の背中をずっと見ていた私は、
子供たちに夫と離婚して「義父」を作ることは出来ない、と思っていた。
それは今も同じ・・・。
だから彼女から引き戻すために、
又、同じ暮らしていくのなら夫と楽しく暮らしたいと、
冷たい夫だったけど夫の実家を出て5年、あらゆる方向から夫婦修復に努力した。
でも・・・ダメだった。
努力しても努力しても夫は冷たく、私は半ば諦めていたときに決定打が。
些細なことで喧嘩になった。
私にも非はあったと思ったから謝ったけど夫は私を許さない。
夫は自分の思った通りに出来ないヤツは捨ててく派。
わかってるけど、100%は約束できないと思った私はそれを話した。
きっとこれが「性格の不一致」
そんな風に思った。
でも約束して出来なかったら、それこそ大変。
夫は折れない。
「じゃあ、どうしたらいいの?」と聞く私に、
「お前しだいだ」って言葉が返ってきた。
私の中で何かかが切れた。
「また私・・・。こんなに努力してきたのに、それでもまだ私が頑張らなくてはいけないの・・・?」
もういい。
そう思ったとき、夫への努力は全てやめた。
一緒に笑おうとした努力も、
帰宅したときに和やかな雰囲気で迎えることも、
美味しいご飯を、と思っていたことも、
キレイな妻であろうと思っていたこと全て・・・。
そして私は外へ目を向けた。
重くてごめんなさいf^^;
でも私の現実です。
人間、墜ちるところまで墜ちると強くなるものですね(笑)
やっぱり「母は強し」です^^
そして、こんなことに続きます^^;→ [http://blogs.yahoo.co.jp/collone37/25403329.html やけど]