く"わたしは、あなたがすべてを赦してくれているのを知っています" epilogueにあるアンソニーへの手紙から
"赦す"のキリスト教的意味〈過去の行為を責めない〉を、小説ではどんな風に捉えたらいいのかな?と考えてみたところ……
〈アンソニーがキャンディを責めない〉でなく、〈キャンディがアンソニーへの後ろめたさや自責の念を乗り越える〉。
これが小説での赦すの意味だと思いました。
で、後ろめたさや自責の念の候補は3つ。
①自分が養女になったせいで、きつね狩りでアンソニーが亡くなったこと。
②アンソニーほどに好きなることもないと思っていたのに、テリィに強く惹かれてしまったこと。
③叔父であるアルバートさんと共に生きてゆくこと
この3つの苦悩やそれらを乗り越える描写がある箇所を小説から抜粋してみました。
☆五月祭直後の日記から 下巻p13,14
──ずっと、テリュースのことばかり考えている。
今まではアンソニーのことがわたしの大部分を占めていた。
もう二度と会えないっていうこと。
わかっていたのに、認めたくなかった。
あのきつね狩りさえなかったら……わたしが養女になりさえしなかったら……。
この思いが消えることはないのでしょうね。
それでも、わたしは生きつづけなくてはならないのね。
わたしにそれを教えてくれた。
認めたくなかったことを認めさせてくれた。
わたしはテリィにお礼をいったらいいのか、恨んだらいいのかわからない。
☆アンソニーへの手紙から 下巻p327
もう誰かをこんなに好きになることはないだろうとも思いました。
なのに……(後略)
──ロンドンでわたしはあなたと似たひとに強く惹かれてしまいました。
その人によって…(中略)…知りました。
(中略) もう、二度と取り戻せないものがあるのだということも。
亡くなったひとにはもう会えない──そんな当たり前のことがわたしはどうしても認められなかった……。
☆アルバートさんへの手紙(アンソニーへの手紙の直前に書いたもの)下巻p320
わたしは──アルバートさんも同じ苦しみをずっと胸に抱いていたことを知りました。
曲がり角で待ち構えていることなど、誰も予想できないのですね。
──誰のせいでもない……。
あのときから、わたしはよみがえったような気持ちになったのです。
アルバートさん、ありがとうございました!
①については一目瞭然ですよね。
②はちょっと分かり難いかもしれませんが、テリィに強く惹かれてしまった後ろめたさよりも、テリィによって気づきを得られたことの方が勝った。私にはそう思えました。
つまり、テリィとアルバートさんによってキャンディは"苦悩を乗り越えられたと感じる"ことができた。
それが、"赦してくれいると知る"ことなのかな?と。
一方──
③の、叔父であるアルバートさんと共に生きてゆくこと
これについては、小説のどこを探してもアンソニーへの後ろめたさが明らかにされてる描写はないです。
当然、乗り越えられたと感じる描写もないです。ない袖は振れない──(-。-;
なので、やっぱり赦してくれる出来事として③は違うかと。
そうなると、アンソニーの手紙の後にアルバートさんとの〈長い物語〉が当てはまることは無いという事も解りました。😅
(そもそも epilogueの意味からして、そこに長い物語は当てはまらないという考察が既にありますね^^)
追記 (9月28日)
名木田先生は「キャンディは自分で気づいて乗り越えて欲しい」とコメントしていたことを記しておきます。