厳しい寒さの毎日が続いていますね。
いかがお過ごしでしょうか?
随分とブログを更新できず、、、見に来てくださった方、スミマセン。
ここ数ヶ月は私の心のなかでも色々な変化があり(発見も!)気づいた瞬間に走り書きのメモは、たくさんとっていたんですけれど、ブログは書けませんでした。
というのも、これまで見えているもの、見えていたはずのものが、全く違う意味をもって自分に迫ってくるようになったから。
つまり私はこれまで同じ世界を見ていたはずなのに、その世界はまったく違う別次元の世界を映し出し、私の胸に迫ってくる。響いてくる。
それはもちろん、いいこともそうでないこともあるのだけれど。
ただ、一つわかっているのは、きっと私が手に入れた新しいフィルターは、これまでのものよりもずっとヴァージョンアップして「ものごとをありのままに映し出している」ということ。
振り返ってみると、去年の今頃は、世界の”陰と陽”を体感していた時期で、モノクロームの世界の美しさをじっくりと堪能していた。
それはとても静かで、これまでに味わったこともないような心地というか、”今ここ”にずっと留まっていたくなるような、穏やかさと静けさに満ちた気持ち。
でもそんな心境のなかにたゆたっていながらも、あまりの心地良さに、もうそれ以上の先を見たい気持ちには駆られることがなかった。
もうずっと、こういう気持ちで穏やかな波のなかで生きていけたらいいのに、って。
それからときは流れ、私は今「変化していく」という素晴らしさを体感している。
陰と陽の中心、あの極上の感覚の先に、鋭利にたくさんのチャレンジを課された状況のなかに飛び込み、私はそのなかで必死で泳ぐことを覚えたのだと思う。
それは決して生ぬるいものではない変わりに、大切な自分の時間をこの手に戻し、荒波にさらわれそうになりながら、葛藤しながらも、自分の気持ちに従って決断をし、迷いがあれば直感を頼りにし、どうしようもなく難しいときは人の協力を得ながら、手探りのなか、自分から始まる道を愚直につくっていくような、私は今、新しい自分を生きている。
こうして言葉に落とし込んでみると、果敢な挑戦者、という人格が浮かび上がってくるけれど、とんでもない!
私は相変わらず、生きることがとても不器用だし、挑戦者と胸を張っていえるほど、そんなに強い人間でもない。ドジだし。。
それでもたった一つ、私が決めていることがある。
どんなにかっこ悪くても不器用でも、私は自分の生きている時間に”後悔”という染みは残したくない。それはただの一点も。
もちろん、どんなときも完璧なんてないのだから「もっとこうすれば良かった」と思うことはよくある。でも、自分で決めた選択に、後悔をするのはもってのほかだと思う。
最近私はこんな自分を、血だなぁ、としみじみ思う。
何かに迷ったとき、人に相談をして、それがたとえとても信頼を寄せている人だとしても、進むこと、踏みとどまることのベストな選択は、結局のところ自分にしかできない。
世の中には「あの人がこういうから」とか、大多数の意見に従う人は意外と多いけれど、私はそういわれたからといって、そちらに向くことができないと自分が思えば、そうすることはできないのだから仕方がない。
別に敢えて大多数の意見から外れる方を選んでいるわけではないけれど、これまでも自分の心に従っていきていたのだから、私はそういう風にしか生きられないのかも知れない、と思う。
でも実はこれって、とても単純だと思う。
自分の気持ちにとことん正直だから、余計なストレスも、不純な動機はもちろんその感情も残さない。
至ってシンプル。単純明快。
そう。
私は単細胞といわれようと、こういう風にしか生きられないの。
抗えない血や性にどっぷり浸かって、生きていくの。
これからもきっと。
これからもずっと。