この動画は凄くはないけどちょっとおもしろいところもあるとおもいます *6
ここからはおまけです
鉄道には関係ないおはなしです
*この記事の出てくる人の名前は変えてあります
2024年も衝撃的なニュースがいろいろですが
ヨーロッパ出身で日本国籍を取得したカッペリーナさん*がミス日本に選ばれたニュースは論争を引き起こしました
このニュースに関する論争では
日本人とは何か 国籍を持っていれば日本人なのか
欧米人の方が有利に決まっている
公正じゃない という否定的な意見が圧倒していた印象です
私は自分もちょっとそうだし外国人の友達も多くて慣れているはずですが,それでも当初から100%外国出身のカッペリーナさんの【ミス日本】には抵抗感がありました
ミスワールド…ならなんとも思わなかったとおもいます
カッペリーナさんはよさそうな人にみえましたがミス日本ではないとおもっただけです
他の否定的なみなさんもカッペリーナを人間として否定しているわけではなく 単に
ミス日本というのはちょっと…という感じだったと想いますが
カッペリーナさんが何か悪いことをしたわけではなくみえていましたが あえていうと
仕草というか ミス日本を決めたい人たちの中に空気を読まない/または遠慮せずに『国籍とった欧米の私が日本らしさに関して日本人を超えてみせる!』というかたちでエントリーする態度 ,ミス日本というタイトルに正当な権利や愛着を抱く純日本人からそれを奪うことに価値を感じてるみたいな行動そのものが日本人らしくないと感じるのだとおもいます
選考員も困ったでしょう
もし落選させると『日本人らしくない外見とか偏見のために落としたのでは?』と少数の人が大音量で騒ぐかもしれない
各自が『他の選考員のみんなはこの外国人を外すだろう…他の人たちもどれも素晴らしくて1人を選ぶのは難しい,一応自分だけこの外国人を支持してミス日本は他の選考員たちの決定に委ねよう』と思いたくなる展開…そして本当にみんながみんなが1人づつそうした結果 カッペリーナさんが優勝したのかもしれません
マイナスxマイナス がプラス になるのと同じで 不利な状況が重なって好転したのかもしれません
ところが思いもかけない展開でこの論争は終わります
カッペリーナが不倫をしていたことを報道され,カッペリーナはそれを最初は否定したものの結局認めてミス日本を辞退し,今年のミス日本は空位になったのです
外国出身だという理由ではないところで,いきなり辞退…という結果になり
論争好きな人々は『不倫でミス日本はダメなのか』『不倫なんてみんなしてるじゃないか』という論点に変えて論争を続けます
霧谷翔兵衛さん*はこういいます『世の中プライベートなどうでもいい事をいちいち叩き過ぎなんじゃないでしょうか!この人が何をしてようが法律違反でなければいいじゃない。ただこんな日本人に似ても似つかない濃い顔はどんなに綺麗でも胸焼けするけど』
霧谷さん*の意見,『こんな日本人に似ても似つかない濃い顔はどんなに綺麗でも胸焼けする』というのは一瞬,問題アリと感じますが,きっとこの方もカッペリーナを人間として否定しているのではなくミス日本の選考という条件下で限定的にそうおもうのだとおもいます
ミス日本選考対象でなければ日本人に似てないことは問題にならないでしょう
それと同じ論理ですが 逆に 同じこの方のいう『不倫をしようが法律違反でなければいい』というのは私は不同意です 私は 今の時代はなんでもアリ とは思ってないので
老古遊殉さん*は『美人は不倫しちゃいけないのか? ミス日本と恋愛は別やろ… 不倫なんて、個人的なことなんだから当事者間の問題』とおっしゃいます
この考えも不同意です。当事者とは不倫を実際にした男女2人だけではないとおもいます
当事者の家族,子供たちも当事者だし,結婚式に参加してくれた人たちもみんな裏切られてるから当事者ですよね
不倫は,1人か2人の人たちに 殺されるより辛い思い をさせることにもなるので,不倫をした人の家族や親族や友人達も当事者だとおもいます
このように 不倫が与える影響は 自由 とか 模範的な人かどうか だけではない 場合によっては 関係者が自◯してしまうかもしれない重大な案件になりうるとおもいます
カッペリーナ個人の弱さやライフスタイルでカッペリーナ自身を否定することしませんが, やはりミス日本という選考の中で人間としてある程度みんなを代表する立場につく人には不倫という経歴は抵抗感が大いに生じます
一般人が宝くじ当選したとかなら国籍もマナー違反や不道徳なライフスタイルも問われないでそのまま当選だとはおもいます
宝くじに当選してどんなに巨額の富を得ても,別に模範的な人物とはみなされないし 模範的な人物という誤解を与えないからです
でもミス日本となると日本人女性を代表する つまり 日本女性とはああいう人です という存在になるわけで このままカッペリーナがミス日本でいれば 日本人女性はみな不倫をしています というメッセージになってしまいます
船橋蟹蔵さん*は別の興味深い観点からこういいます
『日本人の…とりわけ日本女性らしさを競いたいんですよね? 大和撫子、良妻賢母、昔はこういうのが日本女性の理想だとそれていましたが、今はなにが基準なんですか? 多様性とかいっちゃった時点でミスの意味ないでしょ?みんな違ってみんな良いわけなんだから 笑』
Nalfodo〜とおもいました
なんでもアリなら,ミス日本も決められませんね
ミス日本を決める必要もそもそもないという気がしますが
周りの人たちから愛され尊敬されているちゃんとした日本女性は全員ミス日本でよいとおもいます
日本でも 『多様性の尊重』ということからはじまって『これまでダメだと思われていたことを否定するのはダサい』『否定するのは悪』という風潮や
逆にこれまで誰も気にしなかった規制には 『そんなことするなんて昭和』 という空気がひろまりはじめていると感じます
多様性ということばでどんなライフスタイルも許容する傾向強まっていますが,ほんとうにみんな,これからの時代はなんでもアリ と思っているのでしょうか
『昭和時代』のいろいろな習慣に対しては 『あれはナイよね』と思っているのに 矛盾してますよね?
なんでも同意しないといけないと感じる人は
【多様性/民主主義/自由】という言葉の圧力を受けて 『とりあえず他の人のどんなライフスタイルにも同意したり賛同して認めないといけない』と 考えるようになっている感じがします
本当は快く思っていないのに それを悟られないように いいね いいね と賛美しているのではないかと想います
裸の王様 っていうお話のセンスはいつの時代にもあったんじゃないかとおもいます
あの話は世界の中でも特に日本人が共感すると思います
日本には特に いじめられるのが怖くて正しいセンスを口にできないんじゃない という風土があるからです
本当はみんなそれぞれ意見がある
『多様性!どれも素晴らしい!』と口ではいいながら,それでもとても条件の厳しい【ミス◯◯】とかの選考があって 選考の結果に論争まで生じるということは 逆に 「『なんでもアリ/多様性』というけど私はほんとはそうは思わないんだ」という声に出せないみんなの本音がみえている現象なんじゃないかと想います
『多様性というけど無限になんでもありではないだろ』という 実は今でも日本社会にベースに普通に存在している本音が カッペリーナをあんなに願っていたミス日本からの辞退という結果に動かしたのだとおもいます
カッペリーナさんは不倫を悪いことだと思っているのでしょうか
それとも みんなが非難するから辞退しただけなのでしょうか
凄井達修*さんのような人も一定数いるようです
『不倫は気にしないが「嘘」ついたことはダメだよ
少なくとも最初の聞き取りの時に嘘をつかなければよかったのに…
しかし今の世の中不倫発覚したら総パッシング受けるから駄目でしょうね』
ということですが,
自分の家族や親族が不倫してたら普通に嫌でしょう
みんな不倫は否定感を持って気にしますよね?普通は
論理的にいって,不倫から幸せは生まれないとおもいます
一人のいちばん大切な人と約束を守るとか愛し通すというスキルがないんだからその新しい恋もじぶんか相手の次の不倫とか,お互いの愛が冷めて終わるわけだし
ミス日本の不倫報道に続いて,宮城田*教授というけっこうすごい大学教授が他の大学の女子大生とホテルであっていて戒告処分されたという報道…これも本当なら残念です…けっこう尖っていて好きな教授なので…
この点に関して塩金恵那*さんは
『ラブホテルに行った時点で女子学生が悪いと思うのは昭和世代だからかな?』とおっしゃっています
昭和世代はダメなことが令和は好いというのも趣味とかでならわかりますが,人間の良心は本質的なところって変わらないですよね
社会的に尊敬されたいならどの時代の世代の人であっても不倫はするべきではないとおもいます
どんなライフスタイルも許容する風潮というには特に台湾ではものすごく感じますが 日本にはその風潮自体も本当にあるのかな と思います
これも日本の場合,『裸の王様』と同じで,みんな本当はなんでもありとは思っていないけどインフルエンサーやメディアの報道などがみんながそう思ってると錯覚させているように感じます
インフルエンサーが『これはダサい』といえば民衆は慌ててやめるし
誰も知らないことを『これがブーム!』と報道されると慌てて追従します
メディアが『これは死語!』とリストを上げると気に入って慣れ親しんできた学生の頃の流行語を慌てて使うのをやめます
宮城田教授*は報道によると『不倫ではない,進路相談でゆっくり話せるようにホテルを借りただけだ』とおっしゃっているそうですが,確かに家族でない人が内密性のある話をできる場所というと…都区内って自宅がある人以外だと他の人に相談話をきかれないでゆっくり話すことができる場所は…ないんですよね (一般価格帯では)
都区内のスポットは 土地が高くて 店も狭くてテーブルの間も狭いし
本当に相談するのなら高いけど スタッフが自由に出入りする個室のレストランで食事 が健全だと想います
そういう場所であっても,学生にちゃんと話して親か他の信頼できる人を同席させるのがマナーだとおもいます
今の時代ではそういう真面目なのは廃れた考えと思う人には
本当にそうでしょうか 何人中何人がそう思っているか統計とってみてますか?
ときいてみたいですよね
何が正しいのか 何が間違っているのか…どれも自由に自分で決めて全然構わないことはどんなことなのか…本当にそれを知りたいなら,一番確実なのは人間がいつまでも幸せに暮らしてほしいと願って創造してくださった神さまの考えを知ることだとおもいます