キラキラさくら台湾ようこそ日本雪の結晶キラキラ

 

 

今日は

明日引き落とされるクレカの口座に入金してないので

郵便局の本店まで

てくてく歩き旅をしました。

 

カメラをポケットに入れ

ほとんど空ばかりながめていました。

 

 

 

 

高校野球では

強豪私立高校に野球留学する生徒が多く

野球が好きというよりも野球で町おこしをしたい大人

たちからひんしゅくをかうことが

ありますよね。

 

 

 

 

小樽にもそういう高校があって

その高校が勝ち進むのは嬉しいです。

本当に野球が好きな人には

けっこうそういう考えの人も多いと想います。

 

 

 

 

中学までに人生の目標が定めて

あるいは幼い時から親にいわれるまま

物心ついた時には自然に野球に明け暮れる生活をしていて

ほかのことはすべて我慢して

友達とも遊ばず

暗くなるまで毎日練習…❆

 

 

部活の音が空にこだまする夕暮れの体育館

 

親が決めた道を親を信じて一生懸命やってきて

その道を究めるため親元を離れる。

 

 

 

 

強豪校でレギュラーになって甲子園に行く

失敗したら何も残らなかった

と感じるかもしれない

という

かなり険しい道を選んで

歩むわけです。

 

通じるものがあるというか

正面からみると野球というゲームでしかないですが

そこで磨かれる特質は

後の人生でとても役立つ可能性がありますよね。

 

 

 

 

 

私も中学卒業と同時に家をでて遠い他県の私立高校へ行ったので

最初のころとか15歳の少年がどういう気持ちなのか

ちょっとは想像できます。

 

 

 

 

実家に帰って家族や友達にあえるのを

ほんとうに指折り数えていました。

 

 

 

 

今日8月1日は

北海道出身の松浦K斗君が背番号1

ダイヤのエースである

大阪桐蔭高校の甲子園出場がかかる

決勝戦でした。

 

相手は履正社ではなく

私は名前をきいたことがない履正社に勝った高校で

千葉ロッテOBの喜多監督が率いていました。

 

 

 

 

時々決勝戦よりまえに優勝候補同士が激突して

”事実上の決勝戦”

なることがありますよね。

 

そして死闘に勝った勝者は

決勝に出てきた普通の高校には軽々大差で勝ってしまう。

そういうかんじななのかな~と考えていましたが

さすが大阪桐蔭

大阪の決勝を知っています。

 

相手チームに警戒心と敬意を払い

昨日も投げたエースの松浦君を連投させました。

 

それだけでなく

昨日九回表にチームを救う同点ホームランを打った

3番池田君に

送りバントをさせて得点に結びつけたりし

9回まで3-1

リードしていましたが

連打を浴びて同点になります。

 

 

 

 

9回裏は松浦君からでしたが代打を出さず

エースを続投して延長を覚悟していることが伝わってきました。

 

試合は全部見たわけではなくこのダイジェスト↑でも十分それがわかりました。

ちょうどそのまえに観たダニエルの映画で

親元を離れても正しい事をしつづけ

すべきことだと親に教わった基本のちいさなことを

徹底的に一つ一つ忠実に確実にしていく

このことが大きなことを成し遂げたり

意味深いことを任されたりすることにつながっていて

きょうは大切な心情を想いだせた~🖋 おねがい

 

 

 

 

もうひとり北海道出身の大阪桐蔭の選手には

忘れられない選手がいます。

 

その選手は中学生の頃

北海道では世代ナンバーワンの遊撃手

と呼ばれていて

道内のどの強豪私立高校にいっても中心選手として

甲子園を目指せる器でした。

 

 

 

 

そして少年は大志を抱いて大阪桐蔭に進学します。

 

実力はやはりすばらしく

春と夏の甲子園全国優勝のメダルも授与されました。

 

でもおそらく高校野球ファンでもほとんどの人は

彼の存在を知りません。

 

大阪桐蔭のショートには根尾君がいたのです。

 

 

 

 

試合前のノックではその姿をみることができましたが

試合での一般向けの印象的な活躍はなく

ひっそりと卒業しました。

 

でも大阪桐蔭でベンチに入るのは

ふつうの強豪私立高校のレギュラーになるより

遥かにむずかしい努力が必要なことだというのは

野球ファンならふつうに想像できますよね。

 

今も

大阪府予選準決勝で

履正社に負ける寸前にベンチで

逆転につながるムードメイクをしていた姿を

覚えています。

 

 

 

 

松浦君が大阪桐蔭で

決勝戦を完投で任されるようになるとは

中学の頃は想像できませんでした。

 

たしか東北から小さい時北海道に引っ越してきたんじゃなかったかと想います。

北海道ではすごい中学生のピッチャーになりましたが

 

先ほどの選手のことが想い出され

流石にやっぱり大阪桐蔭となると・・と想っていました

関戸君と左右両エースといわれるようになりました。

 

しかし

春甲では打たれてしまい

大阪の春タイも登板しませんでした

 

その間にどこでどう努力して何を身に着けていたのか・・・

 

きょうの信頼のされ方

 

きっと凄い努力をしてこのマウンドへもどってきたことに

とても感動しました。

 

 

 

 

親が決めた(に近い)生き方なんて…

とか

子どもにまかせて自由にさせる

という考え方もあるけど

結局

Olympic や 甲子園 に出たり プロ にいって

みんなに感動を与える選手のほとんど

親が決めた生き方を真剣にがんばった人たちで

親にとても感謝していますよね。

 

 

 

 

大成功したわけではなくても

途中まで頑張ったけど

途中でその生き方をやめてしまっても

一定期間一つの生き方に集中したことは

必ず何かを身につけさせ

何かを産み出すし

あとでその気持ちや実力が

ハッピーエンドにむかってよみがえるかもしれない。

 

 

サーフィンおんぷ

 

 

ありがとう