❄虹警報❄のつづきです。
( 画像がみえないときちいさいときは画像をクリックすると大きくみえます)

おてんき雨がスタンダードな10月の小樽の空。

FOTO:虹がたつ
❄虹がかかってすぐ。七色を描いていた❄

C O O L P I X S9500
f / 5. 6
1 / 1000 s e c .

I S O 125
( s i z e かなり 縮小 )


foto: otal port



ここは小樽港。

この数年の間に ロシア船もすっかり減りましたが
今も來てるんだ~というなつかしい船が 遠くに一艘。

FOTO:小樽港

やがて虹も さわやかな空色に変わりました。


このフォトにも倉庫が写っていますが これに目を留める人はほとんどいません。
でもこれと同じ目的で作られた倉庫群が 今のオタルの観光資源になっているのです。

非常に早い時期に札幌に物資を届けるための鉄道が引かれたおかげで
倉庫も昔に建てられたので 今のオタルがあるわけですね。ねひらめき電球

というわけで 小樽と鐵道とは 切っても切れない関係にあります。
新幹線が小樽を通る計画になったのも 北海道鐵道発祥の地になった小樽への
敬意のあらわれなのでしょうか。

そのために友人のおうちが立ち退かされるそうですが💦


❄❄❄❄❄

それから オタル港を後に忍路 ( オショロ ) へ行きました。

運転してくれているのは介護のパートタイムの仕事をしている優しい男子
小樽市民(21)


忍路の港のまわりには センスのいいおうち や 有意義な施設 が建っていました。
その風景はまさに21世紀の 村/ヴィレッジ ですね。

でもここは津波が來たらすぐにオーバーフローしそうな
くぼみになっていて心配です。

小樽市民(21)はこの日はその介護の仕事ではないですが
知っている何人かのお年寄りを進んで訪問し 福祉を丁寧に気遣っていました。


❄❄❄❄❄


それが終わってから 小樽市民(21)は わたしたちを縄文時代に案内してくれました。

このあたりに 縄文時代後期 と呼ばれる西暦前4世紀ごろまでにできた
ストーンサークルの遺跡があるという。

もちろん存在は知ってるけど小樽にいたころは忙しくて見に行ってませんでした。。。

クルマは 弾みながら 寂しい 山奥ゾーンに進んでいきます。
( 実際はすぐそこに海があるから山奥じゃないんだけどそうみえてしまう )

來た道をふりかえると。。


FOTO:けもの道か
さすが縄文時代。
こんな 舗装されていない凸凹道でした💦

目的地は目立たなかったのか スルーしてしまいました。
戻ったらこんな標識が。。。

FOTO:環状列石の史跡があったけど・・


道は細いし ここは次回 徒歩で來るべき所ですね。
( たぶん來ないけど )


ここからのアクセスがよくわからないし
もっとわかりやすいところにサークルストーンがもうひとつあるというので・・・

こんなところに ついてみました。

FOTO:環状列石への道

縄文時代の人が並べたそのまま なんてすごいです。

縄文時代後期というと・・・
聖書 の一般に旧約と呼ばれる部分のそろそろ最後のいくつかの書が書かれる前後です。
世界史でみたらそんなに大昔ではないかもしれません。
アレキサンダー大王とかも登場しますよね。

中東方面がギリシャ帝国の影響を受けているころ
日本列島なんてまだ稲作も伝わってなくて こんなふうに石を並べていたのか。。。

その時代のギリシャ帝国のあたりと日本列島の文明の差をみると
同じ人間にも地域によってそんなに能力の差があるのか。。と想えば ショックですが

ノアの洪水やバベルの塔などの 聖書の記述での人類の増え広がる経緯と照らし合わせると
あの地域から最も遠い
アメリカ大陸のような西の果てや 日本列島や台湾のような東の果てに
文明を作り上げるだけのまとまった数の人が移動してくるのは時間がかかるので
文明が後になってから発達するのは自然ですね。

驚異的ラストスパートをかけて
中東との文明 数千年の差を抜き去り
もうすぐ新幹線が走ろうか** という北海道にある
縄文時代のテーマパーク?でした。


❄❄❄❄❄


それから小樽市民(21)はわたしたちを ずっと近代に引き戻し
海が見渡せる丘に連れて行ってくれました。

なにか記念碑のようなものが 訪れる影もなく ひっそり たっています。

FOTO:伊藤の記念碑


FOTO:伊藤の記念碑がある公園

FOTO:伊藤の記念碑のある展望台



この 字の書いてある石は10日で50万人を集める 小樽の冬イベント
【 雪あかりの路 】
のネームの由來になっている詩集をだした
このあたりのご出身である文豪の方の記念碑だそうです!

石碑には 詩が彫刻されています。
表現が昔過ぎてス~ っ と入っては 來ないけど
アングルはおもしろくて
だれか いまの日本語の詩の作風に調整してくれたらな~❄
という感想でした。

そういえば この方がお考えになった

【 雪明かりの路 】

【 雪あかりの路 】


いま風に 微調整されていますよね。ね


❄❄❄❄❄


それから小樽市民(21)は雪国ライフにかかせない大切なルーティーンにはいります。


FOTO:洗車はルーティン
台湾ふう発音でいうと センサ。(笑) 洗車です。なかにいるわたしたちを砲撃中。

今年は 10月25日が 初雪でした。

雪深い小樽でも
フッチャ~トケ~ な 秋のおわり と 春さき は
勤勉な洗車が スマートですね。ね

小樽市民(21)とは彼が10歳にもなってない小学生のころに知り合い
キャッチボールや撮影などしてよくいっしょにすごしてきました。
それがいまではクルマの免許をとって運転して洗車も自分でするなんて すばらしい成長です。。

FOTO:長橋
それからRUTE5 をとおって 中心部へはいります。

さすがここはもう 21世紀。しっかり舗装されている。

あ(笑) ご心配おかけしてすみません💦
逆走ではありません❄
フォーラインロード です。す

FOTO:街並みがみえてくる
やがて 小春日和の あたたかい街並みがみえてきます。

FOTO:旧日本銀行小樽支店
フォトジェニックなこの建物も中にはまだ はいったことがない。。。

それから堺町通りを抜けてナンタルのほうにでます。
堺町通りは おとなりの記事でゆるめにレポートしています。

クルマが ラーメン屋 初代 の前を通りました。

FOTO:初代



初代・・ボクがいた頃 ケータイラーメンランキング北海道エリアNо.2 人気店でした。

ちなみにそのころ ボクや友達のなかでオタルのランキングは

1位 らーめん渡海屋
2位 ラーメン櫻島*
3位 みかん

( *もうオタル撤退?でも小樽出店前から西野の本店にみんなよく寄っていた)
です。
一般に地元では あっぱれラーメン が無難にいちばん人気みたいでしたね。

そして ちょうどまだ行ったことのない ラーメン屋 の前あたりで

その店の名も 本気 ( マジ ? ) っていうみたいですが

ふつうに する~ っと ひっそりとした交差点を抜けようとしたら・・


なんと!!

前方にあらわれた おばあさんが 何の理由もなくシリアスに転倒ドンッ・・・

まえをみないでスマホみてたらきっと・・・💦

っていうタイミングです。

速攻 おりて助けに行く 小樽市民(21)・・

彼が助けに向かうその数秒のあいだに どこにひそんでおられたのか


FOTO:見知らぬ人に愛を示す小樽市民
7人の男子が まるで天使が飛來するように現れ
おばあさんを優しく抱き起してあげました。

そう・・

小樽に來たころボクも2駆にのってて雪で埋まり こんなふうに助けてもらいました。

解決すると 感謝の言葉を聞こうともせずに さーっと散っていく北の男たち。

彼らのさりげない優しさが さりげなく報われますように。。。


❄❄❄❄❄


小樽市民(21)は今 大地震災害のあったアジアの国にボランティアに行く目標で 仕事をふたつしてがんばっています。

長期的に滞在してお手伝いしたい と。


小樽市民(21)は最近 こんなアナログ人形劇*をつくりました。


FOTO:エステルとモルデカイ



ネパールで 子供たちにこの人形劇をさせてあげたら きっとみんな歓ぶことでしょう。


がんばってきてほしいです。


❄こんな長い記事なのに ここまで読んでくださってほんとうにありがとうございました❄




❄❄❄

❄きゃくちゅう❄

*小樽市民(21)がみせてくれたのは
聖書 に出てくるちょうど 日本の縄文時代のころのペルシャ帝国のお話でした。
主人公の エステル が
基本的なマッサージだけで 候補者の中で いちばんシンプルな装いだったのに
最も美しいとみなされ 王妃に選ばれた
というところは
この物語の中ではちいさな一面だとはいえ よく知られているみたいです。。

** 北海道新幹線の札幌到達は2030年・・ボク個人の予想では実現しないんじゃないかと思います。。
単なる経済的観点からだけでも LCCができるまえに決まった構想ですよね。
羽田もLCCが入りだしたし。
新幹線の函館~東京の片道だけでも札幌⇔羽田を飛行機で往復できるくらい高いなんてドンッ
JR北海道はその15年のあいだにどれだけ赤字路線を廃線にしたいのだろう。。。

❄きゃくちゅうおわり❄