水は透き通っててきれいだしとってもたいせつ。

でも南台湾は乾季だったので半年くらい晴れていたけど通常四月に梅雨入りするのに今年は空梅雨なので水がないんです。

まえはあんなに毎日一回は滝のようにふっていた雨が・・

いまはちょうど・・ネパールがたいへんですね。。
水どころか あの状況です。
水くらいで悲しんでる場合ではありません。

今回は大々的に報道されてるから同情できますが
たとえば ローカルの小さな川が そのあたりだけプチ氾濫して たまたまその近所の家が沈んで家族がなくなったりとかしても それが遠い外国だったらニュースにはならない。
世界の人(国内でも大多数の人)は数字的にインパクトがないと注目しません。
でも人ひとりに命は一個 お父さんもお母さんも奥さんも一人こどもだってひとりひとりみんなちがうし 被災する人にとっては人類史上始まって以来の大惨事なのです。

世界のあちらこちらでそういう災害がおきていてもわたしたちは知らないでいることも多いのではないでしょうか。

あまりにも災害が多いと きっと最初は使命感持って張り切るけど だんだん慣れてきちゃって 慰め力(同情心)が低下したり。。
でも神様は1:1で世界のすべての人の必要を全部みておられ 被災する人や助ける人が がんばれるようにしておられるのだとおもいます。

日本のだれもが忘れられない あの3月11日…どこでなにをしていてどう感じたか おそらく誰もが覚えてるのではないでしょうか。
わたしたちは小樽に帰っていて 友達のお母さまからランチに招待され 小さくてスタイリッシュなレストランにいました。
雪どけも始まり 窓から優しい春の光がさしていました。

コップの水が揺れたので地震?と気づきました。
でも それだけで周りのテーブルのひとは 誰も気づいてない感じでした。
でもその波状の同じ源である太平洋の海の底では大きなうねりが。。

ケータイをみると 宮城県柴田震度7 と柴田がマックスで表示されていました。
なにも強調されず 他の情報と同じ大きさの字で。

…これ。
と招待してくださったお母さまにみせると お母さまは
あら…
と にっこり笑って 静かに祈り始めました。
お母さまの息子であるその友達は震度7・柴田に住んでいるのです。

それは金曜日でした。
その後ワンセグでニュースを見たら津波の上空からの中継を見ることになりました。
なにかの映画みたいな・・・?
あの 大切なすばらしい水が・・

なかなか切り替えられないものです。
日本にいる間にこなしていかないといけないスケジュールも入ってて
晩にはとりあえずそのまま 
東北だいじょぶかなーどうなってるんだろう と想いながらも
ふつうに食事をいただいていました。
そのうちには小学生のこどもたちがいて一週間がんばってやっと休みになったところだし 母子家庭だし津波ほどではないけど毎日それなりにいろいろ大変で励ましを必要としているし 部屋にはテレビもないからやっぱりさっきのは遠い国のまだよくわからない状況でした。

いまごろ被災地では。。。と心がいたかったけど おなかもすいていて食べないわけにもいかず ・・
とりあえずここからはなにもできない 被災者に分けてあげたくても いくら愛があっても物理的に不可能なことって物理的に不可能なんですよね。
こういうときすぐに誰かの助けになりたいとおもっても 現地に入れないし 入れても あしでまといになるだけですから。。 
それはそこに住んでて一緒に被災している人の特権なのです。
それにやっぱり ちょっとどこかで そこに住んでなくてよかった・・とも感じてしまう・・
とっても複雑で悲しい気持ちでした。
被災地にも 自分にも・・

次の日… 家の中にいる人は被災地のニュースにくぎづけです。
とはいえ被災地の事の重大さがあきらかになるにつれ 何も被災してない物資も豊富で平穏な北海道との違いはいよいよ鮮烈でした。

その週の北海道新聞と全国版と地域別のページが異空間すぎる・・
北海道は街にでてもまったくふつうに展開していて家族連れが楽しそうにショッピングしてイベントもやっています。
予定して準備していきたものを止めてみる切り替えってほんとうに難しいですね・・

なにもできないつらさ・・というのはこの震災の中でいちばん軽い辛さだったかもしれませんが 
でも小樽もそれなりにがんばりました。
津波から何か月かたったある日 小樽のわたしたちの"農業サークル"の畑でも岩手の海側の被災した母子家庭のご家族をお迎えすることになりました。
友達たちが古民家を修繕し準備し物をそろえたので わたしたちも台湾に連絡がきて台湾に持ってこれないで倉庫に保管してあった結婚祝いにいただいたテーブル(ホームセンターで売ってる座卓ですが(笑))を差し上げることができました。
その後引っ越してきた ご家族は子供さんがいろいろ先天性の問題もあり うつと闘っているコや病気で体力が限られているコが心を込めて必要としている援助を行なっています。
なにかできることはないか 考えていること それをみんなで話題にしていること それだけでも 想ってっもみなかった仕方で なにかできることがまわってくるんですね。
聖書には"天のお父さん"(神様)はご自分のみ名を大切にしている人たち同士の会話に関心をもってきいておられ なにかしてあげたいと想ってくださると書かれています。
こういう展開は お父さんの導きだとすごく感じています。

被災地は今 風化 とか 忘れらてゆくことを 悲しんでいる とおききしています。
あのとき なにかできることがあればしたかったけど なにもなかった と想えても
いまならできること いまならではできることも あるでしょうか。
時々そのことについて話し合ったり 復興した土地を旅行で訪ねることだけも 長い目で見たら なにかできること のひとつかもしれないでしょうか。

来週から 毎週火水48時間断水だそうです。
水くらい!
がんばります^^*