根底にある怒り | コリンのブログ

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「膵腺房細胞癌」でこのブログにたどりついた方がいましたら、2014年5月20日以降の「お母さん」というテーマで書いてます。

 

 

朝のニュースを見ていると、コリンの中で様々な考えが浮かんできて、その意見の正当性が自分の中で確立された時、一気に旦那さまに捲し立てる。旦那さまが会社に行ってしまう前に、この意見を伝えたくて、そして自分の正当性を主張したくて、文字通り「まくしたてる」のだ。

 

これから会社に行く旦那さまにとっては、堪ったものではないだろうえっ

そして穏やかに返される。「コリンね、その話し方を気をつけないと、引かれるよ」と。

おっしゃる通り。まさにその通りであり、大いに反省すべき点だと思う。

きつい言葉でごめんね。注意してくれてありがと。

 

コリンは、主張が強すぎて、語調が厳しくなる。誰かに反対されたりしてるわけじゃないのに、「こうあるべきだ。」「それは間違ってる」「~すべきではない」と言って、一気に話す。

 

旦那さまに、話し方や口調を諭され、その通りだと思う。そして、それはどうしてだろうと考えてみた。それはきっと、もっと議論をしたいんだ。意見を主張して、自分の正当性を確かめたいんだ。

若い頃のコリンはね、「自分の意見」をはっきりもっているのに、社会の一員としてうまくやっていくために、表向きは猫をかぶって、万人受けするような態度をしてきた。その方が、世の中うまくいくし、自分自身でも波風立てずうまくやりたいと望んでいたから。

 

そこにギャップがあり、心にいつも「怒り」を感じていたんだと思う。

だから、働けない。人間関係が煩わしいと感じてしまう。

友達と時々会って、おしゃべりをするのはとても楽しいヒマワリ

だけど、おしゃべりと議論は違うから、時々欲求不満になる。

 

別に上から目線で話すつもりはないし、コリンが正しいわけでは決してない。それはわかってる。ソクラテスの「無知の知」を知った時につくづく考えた。自分が全てをわかっているわけではない。

だから・・・

だからこそ・・・もっと話したい。話して理解を深めたい。

ケンカをしたいわけじゃない。口調は激しくなるけど、お互いの意見をぶつけて、もっと先にある何かを見つけたいのだ。「否定と反論は違う」という事が理解できる人と、議論を高め合える時間を持ちたい。

でも、それができないから、いつも心の底には自分でも気づかない「怒り」があると改めて気づかされた。それが時々苦しいから、「世の中の事はどうでもいい。自分には関係ない。」という距離を取る。

コリンがしてる選択は、「だからこそ、何も言わない」こと・・・。

 

その選択は気楽であると同時に、危険な傾向だと思う。ため込む怒りは、徐々に大きくなるから。それを発散できる場を探さないとね。そして口調にも気をつけないとね。

 

最後に、「怒り」という感情は誰しもが持つことである。だからそれが悪いことだと思わない。でも、その怒りを他者に向けて、犯罪を犯す人間は、心から軽蔑する。