人間の「存在理由」 | コリンのブログ

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「膵腺房細胞癌」でこのブログにたどりついた方がいましたら、2014年5月20日以降の「お母さん」というテーマで書いてます。

人間の「存在理由」についての考察
 
【結論】
人間の存在理由について、『特別な理由があるわけではない。』
ただし、『意味がないわけではない。』
 


人間の存在する理由と人が生きる意味は違う。表現が類似しているので、混同して考えてしまうが、それでは答えにたどりつけず内なる苦しみが増すだけである。

まず、人間の存在する理由であるが、そこに意味などないし、ましてや目的などないのである。ただ、存在しているのである。
生き物全体として、生まれて時を経て死を迎える。ただそれだけなのである。生命の流れに意味はない。ただ「ある」のみ。

では、生きる意味はないのか?
そう、次にこの問いが発生するから、問題を混同していまい、苦しくなるのだ。

生きる意味は大いに「ある」のだ。
人がひとたび生まれ出れば、決して一人では生きていけない。人に支えられ、人に助けられ、時には人に裏切られながらも、誰かと関わり生きていく。そこには心があり、感情が発生し、その人は誰かをとても大切に思うだろうし、同時にその人は誰かにとても大切に思われる。人にとって、「大切だ、必要だ、居なくてはならない存在だ」と思われる事こそが、生きる意味なのである。