人生は決して平等ではなく、理不尽なのである。
命が生まれ、命を終えるという意味では平等だが、
その長さにおいては決して平等ではない。
母親の胎内で命を終える事もあれば、
御年100歳を超えても生きている命もある。
そう、まさに命の長短については理不尽なのである。
だから文句を言っていいのではないだろうか。
どうして私ばっかり・・・
なんで、こんな目にあうのか・・・
オレだけなんで・・・
お前に気持ちがわかるわけない・・・
ずるい・・・
許せない・・・
羨ましい・・・
妬ましい・・・
苦しい・・・
文句を言わなきゃ、気持ちが治まり切らない事もある。
だから理不尽な人生に文句を言っていいのだ。
もちろん、文句を言わずに自己の中で感情を処理できるなら、
それはそれでいい。
それが出来る人は、そうすればいいと思う。
だけど、心の中に渦巻く気持ちは、そう簡単に消えてはくれないのだ。
何も人前で声を上げて言う必要はない。
人に聞かれないところで、思い切り文句を言おう。
紙に書き殴って文句を言ってもいい。
そして、その文句を言い終わった後に、
それでもやはりこの人生を変えることはできなくて、
何をやっても理不尽を覆すことができなくて、
この人生を受け入れるしかないと分かったならば、
そこから先は思いっきり生きようじゃないか。
もう笑って楽しく生きなきゃ、もったいないじゃないか。
どんなに泣いても、どんなに悔やんでも、
理不尽を変えられないのなら、楽しまなくちゃ、
もったいないじゃないか。
理不尽だと感じたことをプラスに変えなくちゃ、
理不尽のまま人生を終わらせては、もったいない。
だから理不尽に散々文句を言ってやり、散々コケおろし、
これでもかと叩きのめして、そしてその後は笑って生きよう。
その笑顔が己の心を満たすことはできないとしても、
その笑顔で自分にとって一番大切な人の心を守れるはずだから。
大切な愛しい人の心を救えるのならば、理不尽のやつも
きっと逃げていくはずだろう。