先日「おはよう朝日です」を見ていたら、NMB48のメンバーの方が「震災を知らない」という事実に愕然とさせられました。御本人に何を言おうと仕方のないことかも知れません。生まれていないとか、小さすぎたと言う年齢ですから。ただ、何一つ語られることはなかったのか・・・教科書通りの授業しか学校は教えなかったのか、家族の会話が少なすぎるのか、報道番組は敬遠されるからなのか・・・とにかく残念でなりませんでした。だから話そうと思ったのです。
 1.17になると神戸がクローズアップされます。しかし、実際は広範囲で被災されています。阪神淡路大震災でクローズアップされたのが「活断層」。意外な場所で意外な被害になっているのです。
 高槻市には藤原鎌足のお墓があります。そのお墓が発見されたキッカケは京大の地震研究所を建てるために出土した高価な埋葬品のおかげでした。朝日新聞の牟田口記者が足掛け8年かけたスクープです。発見された当時は「日本の歴史を動かした人が眠っているなんて」っていう感動がありましたが、震災後は「あそこに研究所があるのって、こういう意味だったのね」っていう感じになりました。
 1995年1月17日、私は小さな地震で目が覚めました。私は不思議と地震が起こる前に目が覚めます。本当に何時もありがちな小さな揺れでした。ただ何時もと違っていたのは「長い」こと。この時6:45と目覚し時計が針を差していたように記憶しています。この揺れには得体の知れない不気味さがあり、外は真っ黒。心の中で「はよ、終わってぇなぁ~」って言っていました。そしたら願いがかなったのかピタッと止まったのです。
 でも、一瞬、変な不気味さを湛えた静けさがあって、ビクビクしてたら、北の方角から「ゴ~ォ~」っていう、映画でよくある津波の音に似た音が襲ってきました。次の瞬間、バキバキという木が折れるような音がしました。咄嗟に布団を頭まで被りました。近くにあった子供用タンスの上に電気スタンドがありました(サイドテーブルとか無かったので、タンスの上に置いていたのです)が、バキバキという位の時間で停電。その後、音楽で使うメトロノームの規則正しい音を出すように、家の屋根がパキパキと鳴るのです。本当に時間は長かった。揺れは続いていたけれど、パニック状態から少し正気になったので辺りを見ると、少し外が明るくなっていることが窓の光で分かりました。
 揺れが収まっても、何だかまだ揺れているような感じがしました。もう大丈夫かなぁってぐらいになって布団から体を出しました。電気スタンドが頭の横にありました。多分、布団で覆っていなかったら顔に直撃だった可能性があります(今から思うとゾッとする)。本棚からは全ての本が床に落ちていました。同じ家なのに本棚も方角によっては本が落ちることもなかったところもあります。今でもこれがこの地震の不思議なところです。私の横で寝ていた愛犬は私を置いて玄関へ(この時、最後は自分が一番かわいいのだと悟った)。
 電気の普及は比較的早かった。7:00には普通に。隣の部屋の目覚しのラジオのニュースから、地震の情報が流れていましたが、高速道路が倒壊していることなどの情報は8:00過ぎごろから知りました。近所ではガスが止まっていたので困っていたようでした(寒いのでストーブがないのは辛いですよ)。トイレも一部電気を使うそうなので、使えなかったりしたそうです。我が家はプロパンガスとボットン便所(汲み取り式)。今まではバカにしていた生活でしたが、この時ある意味助かりました。
 茨木市で働いていたので、阪急電車の駅へ行ったところ、電車が来なかった。私の記憶が曖昧なのですが、確か駅は閉鎖されるでもなく、何のアナウンスもなく、皆がどうしたらいいのか、ただウロウロしていたように思います。そして仕方がないからタクシー乗り場へ。タクシーは時々走っているのは見えても、乗り場に来ない。取り合えず電話、公衆電話(当時はポケベル時代。携帯はない)で、かけてみても何の音もしない。どうしようもなくなって勝手に休んでしまいました(その後家に帰って1時間ごとに電話しましたが、最初は全く音が無かったし、その後「暫く経ってからおかけ直しください」になって、何とか通じるころには夕方でした)。他の会社では車やバイクを持っている人だけ出勤し、その他の人は休みにしたそうです。弟の方はその日バイクで通勤できたので、周りがビックリしていたそうです。大阪方面から出勤出来た人は弟一人だけだったようです。人数が集まらないから総務課長が日勤、非番を含めて片っ端から電話しまくっていたそうです。父親は車で出勤出来ました。本当に電車通勤ってこういう時に困るもんだと感じました。それと連絡手段が震災後数時間が経たないと何も出来ないので、ネットとか携帯とかよりも新しい技術で何か考えた方がいいのでは、と言うのが私の意見です。何故かと言うと、勤め人はクビが一番怖いから。実際、私もその時一番恐れていました。通信手段がないとどうしていいか分からないし、勝手に休むと遠方の職場の場合、休んだ理由が理解されない場合もあります。電車で一時間もする所だと別世界の所もあるからです。
 家に帰って愛犬の散歩に行きました。私の近所って一軒家が多く、その殆んどが屋根がへの字を逆にした感じに屋根瓦が凹んでいます。数時間後にはブルーシートが被せてありました。私個人の感想ではJR高槻駅から北東の線に沿って被害が大きい。JR駅前の西武百貨店の中に当時「ハートの銀行」でお馴染の第一勧業銀行(現在のみずほ銀行、現在はATMと宝くじ売り場になっています)がありまして、銀行の真上にある給水塔が震災で破裂したためオンラインシステムが普通となり、数ヶ月間営業停止になっています。そのため手形決済に支障が出て困っていると言う情報もありました。屋根以外でもガレージのコンクリート(見た目だけでも5~10センチある)が真ッ二つにヒビが入っている所もありました。吹き抜けのある家では暫く怖くて入れないと言う方もありました。我が家も外壁が取れかかって(ボロ家だから仕方がない)、お風呂場は一周日々が入りました。
 翌日、先輩から聞いたのですが、事務所(マンションの1室)の中は4人分のロッカーが倒れていて、ロッカーの上にあったテレビが上手い具合に机の上に乗っかっていたこと、3台のパソコンは不思議なくらい無傷(ロッカーとかテレビで直撃を喰らってもおかしくはなかった)でした。会計事務所でしたので会計データーは財産なのですが、日々のバックアップ以外何もしていなかったことが反省点でした。クライアントのパソコンより、サーバーがもし破損した場合、すぐに復旧するだけの手段やお金が必要だということと、バックアップデーターを金庫などの耐震性のあるところに保管することも大事だと当時は考えていました(まぁ3日もすれば「あと100年くらい大きな地震なんて来ないんとちゃう」って所長は言い出しましたね)。
 数カ月後、その年の確定申告になるのですが、高槻市は「罹災証明」を発行していました。案外、皆さん知らなかったです。言葉は知っていても、確定申告で「雑損控除」を受けることによって税金が戻って来るかも知れないってことまでは知らなかったようです。中には「神戸じゃないし」って方もいました。実は高槻市で被害の大きかった場所は2つの町しかありません(ちなみに所長である税理士の先生は自分の地域が全く揺れなかったのか、本人がボケているからか、従業員が出勤していないことに腹を立てていたそうです)。それも隣同志の町ではなく飛び地のような感じです。だから「怖かった」って言う人と、「そうやったん」って言う人がいます。ピンと来なくても仕方がなかったのかなぁ。
 今、思い出してみると反省点とか意見とかいっぱいありますね。
 フェイスブックとかツイッターで連絡とか言うけれど、無いよりはマシかもしれませんが、直後は難しいのではないかと思います。一番の不安は会社へ行くべきかどうかということ。連絡が取れない分、本当に悩むんです。そして、会社が被災していない場合や被災地でない地域でトバッチリを受けた地域でも同じようなことが起こる訳ですが、従業員が仕方なく取った行動でも簡単に「非常識」と片付けて解雇になったり、職場に居辛くならないような法整備も必要ではないかと思います。実際、私の場合でも所長の所は京大の地震研究所の近くで、揺れは感じていないし、自動車で茨木市へ(15~30分くらいかな)行く時も普段と変わりなかったようです(そう思うと地震研究所を建てた場所が絶妙な場所であったと感じたのは私だけ?)。電話も高槻市と違ってスグに復旧していたので、高槻市から来る私ともう一人の同僚に最初は不信感を持っていたようです。顧問先が心配をして事務所へ電話を沢山いただいたそうで、その時に事の重大さを知ったそうなんです。人情のある心優しい顧問先が多かったので私達は助かりましたが、今回の東日本大震災でマスコミで報道されなかったけど何らかの被害にあって「クビ」になりそうになった方もいるのではないでしょうか?
 パソコンをどうやって守るかと言うことも大事だと思います。最近のHDは阪神淡路の頃より恐ろしく大きくなっています。バックアップを疎かにしていると思います。面倒なのでパソコンにデーターを入れたままシャットダウンしているケースもあるでしょう。データーは財産なので金庫などに毎日保管する方がベストだと思います。今では「クラウド」があるのでネット上のサーバーに置いておくもの手段の一つかと。東日本大震災の時に「住民のデーターがない」ということで大変困っている自治体を見ていると「阪神淡路大震災の教訓が生かされていないのでは?」と感じました。
 それと一番ひどい場所はマスコミが入るのでそれなりに状況が入るのですが、近隣地域の情報は全く入りません。特に困ったのが「交通情報」。電車やバスは勿論ですが、タクシーを含めて情報が欲しかったです。誰も乗っていないタクシーが目の前を通り過ぎると「同じ方面だったら一緒にまとめて乗せたらいいのに」って感じた人もいたのではないでしょうか?多分このブログを読まなかった方には「大阪も被災していた」と言う事実を知らない方も多いでしょう。当然、税金の控除などの行政サービスがあること自体知らない方も多いと思います。
 行政サービスの広報のあり方も検討していただきたいです。
 それと、被災地だけを注目するのではなく、近隣も被害が出ていると言うことを忘れないで頂きたいです。