先日、冬のボーナスを貰いましたドンッ本当にうれし~いデス。

 平成5年、運送会社の倒産が目前に迫った年末、私達のボーナスは支給された。

 当時、バブルがハジケタ、と言われても、まだ余韻に浸っている世間、流石にボーナスが減額された所も多く、結構ショックだった人も多かったのです。

 そんな中、経理部の私と総務のEさんの話がスゴイ。

 Eさんの場合、友達から電話がかかってきて「今度のボーナス2ケ月やねん。前は3ヶ月あってんケドなぁ。ショックや」って言われて頭に火がついた。「何ゆうてんねん。ウチなんか1ケ月ないんや。0.7ヶ月や」。その友達はショックのあまり、電話を切ったそうな。

 私の場合。年末のTHE ALFEEのコンサートへ行くために京都で相棒と茨城県から来た友達と待ち合わせ。大阪城公園の駅を出た所に階段がありまして、その階段を下りた辺りでボーナスの話になった。「ウチんとこ、0.7ヶ月や。7ヶ月ちゃうで。れい、てん、や。スゴイやろ。1ケ月ないねん。上限は10万円まで。まぁ、皆、給料の基本が少ないし、そんな人いないと思うけど。はっはっは~。それと今月の給料(20日締め28日支給が就業規則で決まっているが、資金繰りが厳しく、その年から翌月10日に支給されていた)、正月やし1/3だけ年内であと来年や。」お二人共、顔引きつってました。

 今じゃナシなんて当たり前。まぁその当時では珍しかったでしょうね。

 ホンマに皆、ウチの会社の人は懐が寂しかった。特に家族がいる人。役員はその年、3ヶ月だったかなぁ、無給になったり、課長職以上は20%カットで係長の方が多かったり。でも元々少なかったから生活厳しかったと思います。私の基本給は16万円だったと思います。初任給が14万5千円。当時の短大卒では18万~20万円だったので、家族にも話していません。だからブランドものとか、グルメなんて夢のまた夢。

 そう思うと本当にありがたいことです。