今日の朝日新聞の朝刊に「「脱ニート」ヒントどこに」という記事に目が止まりました。「何となく分かる~」ってことは私もニート予備群ってことなのかなぁ。
 要は「適応する」根本的な知恵が備わっていないのではないかと思うのです。一人遊びが好きだったり、良い子過ぎて母親が言うことに絶対的に従ってしまう子供や、生まれた時に近所に同じ年齢の子供がいなかったり・・・理由は様々あると思うのです。ある意味、今働いている若い部類に入る人の多くはニート予備群かもしれませんね。
 先日久々に「オウム真理教」という文字を新聞で目にすることがありました。当時から高学歴の若者が何故入信し、事件を起こしたのかといことが言われていました。今もってその疑問に対して答えがありません。って言うよりも事件の方が大きすぎて、根本的なことが何一つ解決出来ていないのが現状かもしれません。
 で、「脱ニート~」の記事を読みながら、彼らは実は「居場所がなかった」のではないかと感じました。彼らは人が羨む高学歴で、どんな職業についてもおかしくはない状態でしたが、実際は一般的な常識がなかったり、一般的な話題に付いていけなかったりして、我々とは違う「変人」的な目線でもって見られ「孤立」したのではないかと思います。就職していた方もいたと思いますが、精神的には事実上「ニート」と同じ状況だったのではないでしょうか?
 人ってどんなに「平等、公平」って言っていても、一人より偉くなりたいし、良い生活をしたい。出来ることならお金持ちにもなってみたい。どんなに否定しても誰の心の中の隅にもあると思うのです。
 そのための手段として良い大学、良い会社を目指して頑張ります。親や周りが仕向けて、期待を実現することで絆が出来て、そして更に頑張って・・・実際、夢のようなエリートコース通りに進んでも、その次に何をするのか自分では見つけられなかったでしょうし、周りの期待(スゴイ仕事してる、スゴイ儲けている)を一身に受けていたことでしょう。実際、壁にブチ当たったこともないくらいのエリートだったようですし、元々自分が「~したい」って強い意志がなかったから、したいことがなかったでしょう。挙げ句、行き詰まった彼らがたまたま宗教に出会って「ハマった」って何もおかしくないと思います。似たような人も多いし、何となく居心地も良かったし、周りの呪縛から解放されたことも大きかったのではないでしょうか?「君が必要なんだ」なんて言われれば、本当に嬉しかったんじゃないでしょうか。「偉いね、賢いね」って言われることは多かったでしょうが「必要だ」って言われたことないんじゃないかな、想像ですけれど。
 ニートって家でゴロゴロしているイメージがありますが、精神的なところでは現在死刑囚として服役している元信者と同じかなぁと。何かを拠り所にしたい気持ちは一緒だと思います。たまたま縁があるか、行動するかの違いだと思うんです。
 いつもマスコミは事件を取り上げるだけ取り上げて、真実の追求とか検証がおろそかになっているような気がします。現在死刑囚の彼らが真実を語ってくれれば多少なりとも社会に還元できる内容があると思うのですが、如何でしょうか?