「日本人3位!」本当にビックリしました。当時テレビ番組を見ていて、詳しくは知らなくても本当に大興奮でしたよ。マックラーレン、ウイリアムズ、フェラーリー、と名立たるチームが競い合う中、なんとF1のトップドライバーのA・セナとA・プロストが接触、リタイア。波乱含みのレースでしたね。レース終盤になり「鈴木亜久利3位」ということで突如スポットが当たります。でも不幸続きのレース結果(詳しくはウィキペディアで)だったせいか、マシンが最後まで持つかどうか不安視する解説もあったような気がします。私の記憶が正しければ、WINNING RUNが出来る力がマシンに残っていなかったと思います。だから「最後までチャンと走ってね~」て祈るような気持ちで見てました。
 で、このレース、当時勤めていた運送会社の本店経理部部長が見に行ってまして、確かこの映像の後、ピケにブラジル国旗を渡す男性の姿があったハズなのですが、その男性の後ろの席にいたそうです。部長がおっしゃるには、その男性は何度も前に出て国旗を手渡そうとしていたそうです。その後、警備のほんの僅かな隙を狙って成功したそうです。
 その行動を間近で見てしまった部長、早速ブラジル国旗を購入(自慢そうに某管理職の方に見せていたのを発見)。多分、自分も同じことを企んでいたのではないでしょうか。「来年は是非セナに」なんてね。経営が元々悪化していた会社ですが、その後シャレにならないくらい悪化します。鈴鹿へ行くだけの資金もなかったのではないでしょうか。
 当時、部長は「セナ」、女性の先輩が「ナニーニ」、私が「プロスト」のファンで、「プロスト」ファンは変わり者?みたいで、よくいじめられたなぁ。そんな楽しい会社も、この鈴鹿を境にどん底に落ちました。
photo
F1 LEGENDS F1 グランプリ 1990〈3枚組〉 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント 2008-05-23

by G-Tools , 2011/10/09

一番F1が面白かったのは1988~1990年ぐらいかな?と思います。「感動」と呼べるのは、この1990年の鈴鹿ではないでしょうか。最年長ルーキーとして日本人初のF1としてデビューした中島悟はホンダエンジンとPIAをスポンサーにと、苦労もされたと思いますがラッキーな面も多かったのに対して、鈴木亜久里は1989年ザクスピードの信頼性の低いマシンで全予選通過できず、1990年のエスポラルースランボルギーニでもリタイアだらけ。そんな中での3位なので、本当に「感動」です。