実は私は脊柱側弯症です。12歳の時に学校の集団検診で発覚しました。
 約30年前のことです。当時は病名も一般的に知られることもなく、大阪府高槻市では調査目的で検診されていたものだと思うのですが、京都の学校へ変わった時に保健体育の担任の先生に話しても病気のことは全く御存じではなく、誰に聞いてもそのような検診などなかったようなのです。専門的に受診できる病院は高槻市にある大阪医科大学付属病院の整形外科のみで、名古屋から通院されている方もいたそうです。
 受診と言っても殆んどが経過観察ですので、レントゲンと背骨の曲がり具合の測定のみで、根本的な治療は無く、脊柱側弯症と診断されて寿命を全うした方がないので、将来はどのようになるのか肝心の医師ご自身が答えられないようでした。成長するに従って背骨はどんどん曲がります。そうするとコルセットをつけるのですが、これが生活が出来ないくらい大変な代物で、結局2つ作りましたが殆んど使用することもなかったです。


 ここからは私の見解ですので、参考までに留めておいていただきたいのですが、
①4歳頃に急性肝炎を患い、油、乳製品を食べることを禁止されていた。発病してから病名がわかるまで時間がかかったため、黄疸が出て重病だったので、約2年間、牛乳を飲むことがなかった。小学校へ進学して牛乳を飲まなくてはならなくなったが、病気後、味覚が変わり牛乳が嫌いになったので、カルシウム不足だったのではないかと思います。
②脊柱側弯症が発覚した約2年前から顎がガクガクする『顎関節症』が始ったこと。歯並びも悪く、それが原因だったのではないかと思います。高校3年生頃から片方の目の位置がズレていることに気付き、その後約数年で完全に顔が曲がってしまった。約10年後にはアクビをするだけで顎が外れるようになりました。30歳前で歯科矯正をしたら顎関節症がよくなった感じもするし、疲れ方がマシになったような気がします。同級生で脊柱側弯症で骨折が多かった人が、中学進学前に歯科矯正をしてプールで泳ぐようにしたら完治とまではいかなかったけれど、かなり良い方向で治ったらしい。
③高槻市の小学校から大阪医科大学付属病院で検診で引っかかった子供達が呼ばれて、検査とかストレッチの講習などがあった。そこにいた子供達には特徴があり、先に身長が伸びて土台となる体型は細い(いわゆるモヤシ体型)、色白であること、顎が細いこと、女性が圧倒的に多いこと、などです。

ちなみに私の中学1年の入学時は160センチ38キロ、乱杭歯、日焼けしても翌日には白くなる肌。まわりでは『骸骨』『幽霊』と呼ばれていたらしい。


 当時沢山の患者さんがいたと思われるのですが、その後受験や仕事で治療を断念した人も多いと思われるのです。確固とした治療方法は現在でもないはずです。歯科矯正、整体、接骨、カイロなど可能性があると思われることを独自で考えて生活していると思うのです。私の願いは医学の専門を超えて、治療にあたって欲しいと言うことです。