Baneのブログ

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今までも男らしく生きてきた。それはこれからも同じ。波乱万丈とまではいかないが、苦しいこともそれなりに経験した。その経験をいかし自分なりに経験論を書いていきたい。

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【プライドは己を守る為の鎧である。同時に周囲の人間を尊重し、豊かな人間関係を築く最強の剣(つるぎ)にもなる。

しかし、その剣はただの剣ではない。一歩間違えれば、相手を傷つけ己自身も傷を負う『諸刃の剣』となる。そのことを決して忘れてはいけない。】

深くなった人間関係は楽しいものである。しかし、深くなったがゆえに慣れが生じて、礼儀がなくなってしまうことがある。所謂、『親しき仲にも礼儀あり』がなくなってしまうことだ。

私の好きな思想家で、中国の孔子がいる。

私は孔子の、『仁(思いやり)・礼』この二つの教えがとても大好きである。

孔子は特に仁を大切にするように唱えている。そしていくら自分の心の中で仁を持っていても、それを表現出来なければ意味がない。これを言葉、態度で示したモノが礼である。

自分の心の中で『ありがとう。ごめんなさい。』と思っていても、相手には中々伝わらない。
しっかりと、頭を下げて礼をする。ここで相手にしっかりとした思いが伝わる。

私は日頃の人間関係で特に気をつけている事がある。当たり前の事だが中々奥が深い。
私は人にご馳走してもらったり、自分が悪い事をした時、必ず三度、礼をする。
一度目は、その場で『ご馳走さまです。有難う。・ごめんなさい。』二度目は、自宅に帰ってから『今日はご馳走さまでした。・今日は本当に申し訳なかったです。』三度目は、次に会った時に『此間はご馳走さまでした。・此間は本当に申し訳なかったです。』
自分の中でこれだけは守り続けている。
仕事など尚更だが、友人関係でも非常に役にたっている。

特に自分が悪いことをして相手を傷付けたなら、尚更この『三度の礼』は必要だと感じる。
本当に悪かったなら謝れる。

悪い事をしても謝れない。中途半端な謝り方しか出来ない人間。それは余計なプライドが邪魔するからだ。

いや、プライドではない。それは単なる虚栄心だろう。

そのような人間をプライドが高いというのではなく、低いと見なすのが正解なのかもしれない。

本当のプライドなら頭を下げた後に残る筈だ。
プライドを勘違いして、本来謝るところを謝らない。これでは、自分も相手も嫌な気持ちになる『諸刃の剣』だ。

仁を持って、礼をする。

これを守れば、自分だけでなく周囲も守れる最強の剣と鎧が手に入るだろう。







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