コールド サマー 〜 Cold Summer 〜

コールド サマー 〜 Cold Summer 〜

パニック障害と過敏性腸症候群を克服しようとしている男の奮闘記

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治療は終了し、自分では完治したものと思い込んでいた。


高速道路にも急行電車にも難なく乗ることができた。

仕事も順調だった。ただ、時折突発的にやらなければならなくなる「クレーム処理」の前には、気休めとしてデパスを服用してから臨むことはあった。


プライベートでは、私は地元のある活動で役員をしている。土曜も日曜も祝日もそれに手を取られ、ゆっくりと自分のための時間を過ごしたり休息できる時間は、ここ数年ない。またこの活動の人間関係はドロドロしていて、ある意味で仕事以上に私にストレスを与えていた。



治療が終わって3ヶ月経った2011年3月。


普段顔もほとんど合わせることがない、会社の上層部から、急な呼び出しを受けた。


聞けば、異動の勧め。


社外の組織への出向、これからの私のキャリアアップのためにもよい経験になるのではないか、と。翌朝返事するように、と言われた。



入社以来、長年慣れた職場を離れる。

しかし、自分にはこの職場での経験しかなく、視野を広げることは必要。

単身赴任や転居はないが、それまで片道30分の通勤は2時間になる。

色々思いを巡らすが、いずれにせよ、上層部からの話を断るという選択肢は、サラリーマンである以上なかった。



翌朝一番に上層部を訪問し、

「昨日のお話しありがたくお受けさせていただきます。よろしくお願いいたします。」

と伝えた。



コールド サマー   ~ Cold Summer ~






コールド サマー   ~ Cold Summer ~




頼れるのは心療内科の指導だけであり、先生の言いつけどおり、「パキシル」の服用を開始した。


この薬は、セロトニンを再取り込みするセロトニントランスポーターの働きを阻害することにより、脳内シナプス間隙のセロトニン濃度が高まり、神経の伝達がよくなるという効果がある。


最初は10mgを1日1錠。

2週間ほどで慣れる と先生には言われていたが、私にはこの薬の副作用がきつかった。

吐き気・頭がフラフラする・眠気・酒を飲んだ時の悪酔いが3ヶ月ほど続いた。

一度は、急性アルコール中毒に近い症状でぶっ倒れ、連れに家まで連れて帰ってもらったこともあった。


副作用が治まると、確かに予期不安が起こることは次第に減っていった。

逆に飲み忘れると、頭がフラフラしたり、不安になるという状況になった。


パキシルは結局2年間飲み続けたのだが、1錠を約3ヶ月、2錠を1年強、症状がでなくなってからは1錠に減らし、最終は0.5錠。


頓服のデパスは持っているだけで、「いつでも飲めば治まるのだ」という安心感を与えてくれ、よほどの長距離ドライブ等以外は使用することがなかった。


2年間で治療は終了した。


薬が治してくれた というよりも、「気の病なのだから、気の持ちようで自分が強くなればよいのだ」と自分を律することで、自分の心をコントロールすることで、治療しようと努めた。



この時は、病気を克服した喜びと自信で、 二度と発症することはあるまい と思っていた。不安をコントロールできるようになったつもりでいた。


、、、その後さらなる大波が押し寄せてくることを知らないで・・・


正直なところ、「心療内科」とは綺麗な言い方で、要は「気チガイ病院」、だという 差別的な認識をしていた。


この自分が、気チガイ病院に行かなければならなくなるとは、、、と。


先輩社員で、スピード出世をしながら、うつ病になり、しばらくの療養休職後、降格・減給となった人がいた。

頭がよく、誠実で、人の気持ちがわかる、後輩の面倒見もよかっった、尊敬できる先輩が、、、
それを目の当たりにしていたから、
「絶対にあのようにはなるまい」
と思っていたし、今回このようになってしまって、心療内科にかかることは、決して誰にも知られてはならないという焦りがあり、その焦りがさらに自分にプレッシャーをかけた。


19時台で予約し、19時前には心療内科に到着した。

予想以上に混み合っていた。

待合室にいる患者さんはどれも一見普通に、障害がないように見えた。

普通に暮らしているようで、実は精神を病んでいるという人がどれだけいるのか ということを思い知らされた。


待つこと2時間。やっと自分の名前が呼ばれる。


診察室に入る。

やさしそうな先生。

自分のこれまでの状況を必死に説明し、なんとかして欲しいと訴えかけた。

先生曰く、
「あなたが言うとおり、パニック障害に間違いないですね。
治療には薬を使います。
この病気を治すためには、鬱症状を緩和する「パキシル」という薬を基本薬として毎日服用してください。
そして、不安な状況になりそうな時には、「デパス」という頓服を処方しますので、そのような状況になる30分前に飲むようにしてください。
治療には時間がかかりますが、発作の経験をしないことが大切なのです。
モグラたたき のように、不安の芽がでてきそうな時には、「デパス」でたたく。
そのようにしていきましょう。
きっと治してみせます!」

先生のアドバイスは力強く、唯一の希望の光に感じた。


こうして私の投薬治療がはじまった。



コールド サマー   ~ Cold Summer ~




発症したのは2008年の11月。


仕事で、納得のいかないことがあり、気の許せる後輩と遅くまでヤケ酒した。


翌朝。

家族を乗せて遠方まで車を運転することになっていた。


朝起きるとまだベロンベロンに酔った状態。

でも前々からの約束だから運転できないとはいえない。


仕方なく家族を乗せて出発。

酔いは残っているもののなんとか運転はできそうだった。


高速に乗り、ETCのゲートを過ぎたところで、急に胸が締め付けられ、息苦しくなってきた。


視覚的にも 道路両側の遮音壁 が自分に迫ってくる感覚。


「後30km走らないとここを出られない。 途中で止まれない。」


コールド サマー   ~ Cold Summer ~





込み上げてくる不安で押しつぶされそうになりながら、気を失いそうになりながら、過呼吸状態に。


「やばい、このまま死んでしまうのではないか。」


前かがみでなんとか30km運転し、目的地まではほど遠いが高速を途中で降りた。


すぐに見つけたコンビニに車を停め、車を降りて座り込む。

水を買って無理して飲むが、二日酔いはなかなかとれない。


なんとか車に乗って運転を再開したが、もうとても高速には乗れる状況でない。


途中の休憩と下道を走るので、到着予定時刻にはずいぶん遅れている。


後部座席からヒステリックに
「今日朝早くから出ることは、前々から言ってたことでしょ!どうしてそんなになるまで昨晩飲んだの!急いでよ!」
と責める妻の声がさらに私を追い詰める。


「体調が悪いんだから、仕方がないだろ!とても運転できる状態じゃないのをがんばってるんだ。
今すぐにでも車をそこらにぶつけて運転をやめたいぐらいなんだ!」


狭い車中で、大声で言い合いしているのを子供達は黙って聞いていた。


予定より1時間遅刻して目的地に到着した。



これが私の最初の恐怖体験。

この体験は克明に私の脳裏に刻み込まれ、
「また、あのようになってしまうのではないか」
という恐れで、それ以来、高速には乗れなくなった。


閉じ込められる状況というものに対しても意識するようになり、急行電車 にも乗れなくなった。



「死んでしまうのではないか」 というほどの突発的な体調不良・・・



病院で検査したが、異常なかった。



自分の体調不良の原因がわからず、悩んでいた頃、新聞の下欄広告に
「パニック障害」
という文字を見つけ、はっ と思う。


「自分はこれになったのではないか!?」


早速インターネットで検索して、詳細を確認すると、まさに、自分の症状に当てはまった。



紛れもなく、医師の診断を仰ぐまでもなく、自分は
「パニック障害」
だ。


自分が通えそうなエリアで心療内科を調べ、予約を入れた。

混み合っているので、1ヶ月後しか予約できない とのことだった。


「1ヶ月もこのまま我慢しろというのか。」


しかし、待つしかなかった。


1ヶ月がんばって待った。



そして、初めて心療内科を受診した。


2011年、 夏。

40歳になる私の人生で、これほど
寒かった "夏" は、他にありません。


子供の頃から、夏は好きな季節だった。

海、太陽、カキ氷、夏祭り、花火、高校野球、、、

灼熱からクーラーの効いた建物に入った時の気持ちよさ。

Tシャツに短パン、ゴム草履。
開放的な服装。

毎年夏が来るのを楽しみにしていた。


それが、今年の夏は一変した。



恐怖の毎日、、、



朝、
早くに目が覚め、約1時間、日によってはそれ以上の時間をトイレで、冷や汗を噴き出しながら過ごす。
どれだけ座り続けてもこれで十分ということはない。
身支度をしながら合間合間何度もトイレに入る。

自宅を出なければならない時刻が近づくと、トイレに別れを告げ、
急いで4種類の薬を口に流し込み、
ワイシャツの下には腹巻を装着して、
家を出る。


2時間の通勤電車。
必ず弱冷車を選ぶ。

混み合った車中、気を紛らわせようと
本を読んだり、携帯をいじるが、
意識はどうしても自分の現在の体調、特に腹の下の方や肛門にいってしまい、集中できない。

時折、波のように押し寄せる不安。
「あれ、ちょっとやばいかな」

家で出せるだけ排泄してきたのに、また腹の中から出てこようとするものがある。

次の停車駅までの自分との格闘。。。

息が苦しく、気を失いそうになることもある。
そんな時は、ポケットにいつも出せるように忍ばせている薬をプチっと口に放り込み、目をつぶる。
「すぐに大丈夫になる」と頭の中で唱えながら。

噴き出す冷や汗をタオルで拭い、ひたすら電車のドアが開く時を待つ。

ドアが開き、途中下車、
一目散にトイレに駆け込む。
途中駅のトイレ事情は全て頭に入っている。動きに無駄はない。空いていることをひたすら祈りながら。

間一髪のところで間に合った。

毎日途中下車するわけではない。
すんなり目的駅まで行けることもある。


しかし時折起きるこの恐怖体験が、焼印のように残り、
その後の生活でも予期不安を増幅させ、
その度に薬の量が増えていく。


職場。
事務所で座って、いつでもトイレに行ける状況では、比較的気持ちも落ち着いている。

しかし、昼食に出る前・会議前・出張前・帰宅前には必ずトイレに行く。

腹筋と肛門に力を込め、出そうな物が残っていないか、確認してからでないと、次の行動に移れない。

特に長距離移動の前は緊張が極度になり、精神安定剤を口に流し込む。

精神安定剤はなんとか普通人らしい自分を繕ってくれる。


終業。
なんとか1日乗り切り、缶ビール片手に家路に着く。


帰宅。
寝る前の子供達と過ごす数十分が唯一の安らぎ。



1日を乗り切るのに、普通の人の10倍ぐらいのエネルギーを使っているような気がする。

白髪が一気に増えた。

一時80kgあた体重はこの4ヶ月で
一気に65kgまで減った。
排泄のことを考えると、とても食が進まなかった。

辛いものや脂っこい物が好きだったが、それらも口にすることがなくなった。

酒はやめてはいないが、酒量はかなり落ちた。

値上げで一時やめようかと思ったタバコは、ストレスを軽減する重要アイテムであり、当分やめる気はない。


精神安定剤の使用は日に日に増え、依存度が高まっている。

普通らしく装うために、それ無しではやっていけないのだ。



・・・なんとも燃費の悪い体になってしまったものだ。


世界中を難なく飛び回っていた、あの頃の自分を取り戻したい。


いっその事、死んでしまった方が楽なのかもしれない。でもそれは絶対にできない。
子供達のため生きて働き続けなくては!


就寝。
色々な思いが頭の中を渦巻く中、布団に入り、目をつぶる。

一旦、深い眠りに入るが、2時間ぐらいで目が覚める。
それからまた眠ろうとするが、浅い眠りにつけることもあれば、興奮してそのまま翌朝を迎えることもある。


翌朝、
また闘いへと向かう。。。


そんな不便な毎日を送っています。


コールド サマー   ~ Cold Summer ~