紫陽花が咲き誇る時期になったもんだ。
ふと、紫陽花を愛していたと読んだ事があるシーボルトが脳裏を掠める。
彼の著書にある『日本植物誌』には、
おタキさんの名前から取ったとされる紫陽花の学名がある。
ヒドランゲア・オタクサ
だけどシーボルトが命名する以前にハイドランジア・マクロフィアと
発表されていた名前があるのでオタクサは認められなかった。
ハイドランジア=英語で紫陽花を言う 水の器 マクロフィア=でっかい葉
ヒドランゲアはハイドランジアのラテン語読み
読んでいたものにはオタクサは、青いセイヨウアジサイだとも
ガクアジサイだとも書かれてあって
どっちなん?とか思ったけどそこは大した問題じゃない。
シーボルトさんの動きをさらっと読んでみる。
医学者の家に生まれ、自身も大学では医学部であった。
そこで医学をはじめ、動物学・植物学・民俗学をも学んだ。
大卒後は町のお医者さんだったが、知らない国を知りたいって思って、
オランダの陸軍軍医となった。
オランダの命令で、日本の事を色々調査を頼まれた。
そして長崎の出島に到着。
出島からは出てはいけない筈だが
シーボルト、有能すぎて町の病人を診察する許可を特別にもらう。
そして家を手にして医学の塾を開いた。
教える傍ら日本の事も教えて貰っていた。
カピタンの江戸参府に同行した時に、江戸までの間に植物を採取したりした。
カピタン=出島のオランダ商館長
江戸では役人などと挨拶を交わし、多くの医者や学者と知識交換する。
その時に日本研究となる品物まで頂いている。
旅の間に収集した品物や絵とか本とかは船でオランダに送っといた。
送ってしまった品物のなかには、持ち出し禁止の物があり
国外追放となってオランダに帰国した。
その30年後に国外追放が解かれ再び日本へ行く。
娘や昔の生徒と再会し日本研究も続け、
幕府に招かれて江戸でヨーロッパの学問を教えた。
その3年後にまた日本を離れた。とある。
映画1本観たような気分になるスペクタルでcol震えてもいいですか。
そんなシーボルトの『日本植物誌』に紹介された以後、
発見出来なかった紫陽花がある。幻の紫陽花とまで言われていた。
八重の形状の『七段花(シチダンカ)』という名で、
ガク咲きの、枝が細めな紫陽花が偶然に発見されたらしい。
現在では幻でも何でもない。人気の紫陽花の1つになっている。
ヤマアジサイと言えど医学以上に貢献してくれたんじゃないだろうか。
愛する人の名前を付けたがるのは誰の心情にも思い当たる気がする。
スパイっぽく言われてたりもするけど
興味と命令だけでは日本の研究をそこまで探求出来ないんじゃないだろうか。
そう思ってしまう。
彼は愛する人たちがいる国も紫陽花も愛した。