内海聡先生のお話を聞き、若い頃の記憶が蘇りました。
眠れない毎日、仕事にも影響があったのかなー?
遠い昔でその辺は覚えていませんが、母に精神科に連れて行かれました。
この動画を見ていたら、うつ病だと眠れないと語られてましたので、そういう扱いだったのか・・・?
自分では、何を医師に訴えたのか?まったく覚えていないのですが、(眠れない以外にも悩み)話を聞いてもらっていただけのような?
眠れない日々は続いて自分でも本を買い、体が沈んでいくような暗示を掛けたり色々していた事を思い出しました。
何の薬を処方されたのでしょうか?
凄くテンションが上がって、ヘラヘラしていた気がします。
職場で、「すごーく明るくなったね!こういうHosoさんの方が良いね!」なんて言われたのを覚えていて。。。
でも全く自分じゃないみたいで。
何ヶ月通院したのかまったく覚えていませんが、そんなに長期ではなかった気が。
通わなくなった理由は、
担当の医師(若い男の先生)が、
「今度アメリカに(たぶん医学)留学するので、今日でさよなら~♪」みたいに、もう浮き浮きした感じでおっしゃるので、
「患者を途中でほったらかしていっちゃうんだ、ゼンゼン治ってないよ!」と気持ちが急速に覚めた為だったかと。
(その後いつの間にか不眠症と名づけられた症状は治まって行きました。)
内海先生のこの動画を見て、当時その先生がずーっと診ていてくれていたら薬漬けになっていたのかも知れないと。
今思うと、見捨てられて良かった!!心底思いました。
テンションは元に戻って、低い方です。
精神病院のお話も出ましたが、伯母が危ないところでした。
年齢が行ってから後妻に入った伯母。
義理の子供たちは、既に大きくなっていたのであまり親密な関係にはなれなかったみたいです。
二人の息子はそれぞれ結婚するも、同じ敷地に二人とも家を建て、
お嫁さんたちの両親も住むようになり(え?)、離れの伯母(健康・ぼけてない)が邪魔になったのか、
何か理由を付けて、精神病院に入れると。。。
あちらの家族に遠慮して、私の母など兄弟とはほとんど付き合いが無くなっていたけれど、
遂に姉の伯母に、SOSを出したそうです。
深夜こっそり、脱出させて・・・断絶。
一生出れないの知っていたとしか思えない、マスコミ関係者の義理の息子たち。(怒)
うつみん先生の話だと、手足拘束は当たり前。
突然連れて行かれ怒り、口の達者な伯母なら、反抗的と見なされて拘束もされていたかも知れません。
本当に怖い。
精神科で、もう1つ。
身内の入院でしばらく長期で帰省した時、いつまで長引くかわからず、少しでもアルバイトしようと求人欄を見ると、
精神科の患者さん対応・受付の仕事が一杯出ていたのを思い出しました。(東京の5年前くらいのことですが、今でも?)
時給は高かったけれど。。。
仕事内容が、大勢を捌くようなイメージがあって、、、心を病んでいる人がそんなに多いのかと。
動画では電気ショックの話もあって、そのような器具でも取り付ける係りとかだったのかしらん?
本当に怖い。
以上、精神科にまつわる小さな思い出話でした。
○ 第1弾~第5弾
市民の人権擁護の会日本支部(CCHR Japan)支部長の小倉謙(ゆずる)さん。
薬物中毒を助けるきっかけが衝撃的、
コロンビアでバックパッカーしている時に誤ってマフィアのコカイン工場の近くに迷い込んでしまった話。
貧しい身寄りのない子供を麻薬工場で働かせ、中毒症状で倒れた子供を谷底に投げ捨てた所を目撃してしまったとのこと。
麻薬を無くしたい想い。
その麻薬・覚せい剤が合法的に使われているのが、精神薬だと。
小倉氏の水泳教室の教え子さんが、ただ活発な性格の為かも知れないのに
注意欠如・多動症(ADHD)
という病名を付けられ、病院へ連れていかれ → 薬漬け・車椅子 → 死亡
この悲劇も活動の動機になってらっしゃるようでした。
調べたら、大人にまで魔の手が。。。
「目的のない動きをする」「感情が不安定になりやすい」「過度なおしゃべりや不用意な発言」
「注意を持続するのが難しい」「ケアレスミスが多い」「片づけが苦手・忘れ物が多い」
・・・これ病気だそうです、逝ってるね~!