最初に言いたいのは
前の回で
関ヶ原の戦い前から
「天下分け目の戦い」
とか言っていらっしゃったけど
ドラマの演出に文句つけても仕方ないけど
あの合戦前、家康公には
そんだけの気合いはなかったと思うけど
それに
「三成を倒して天下をとる」
みたいなこと言って
三成さんそこまでのポジションでは
なかったような?
と前置きして
家康が三成を大垣城から
誘いだしたようにみえて
三成の策だったという設定で
今までの定説は
家康の誘いに引っかかった三成が
大垣城を出たみたいな流れだったけど
最近の史実の見解では
三成自らの意思で大垣城を出た説に
なってきているようで
小和田館長がご紹介のこの本で
お二方ともその説でしたね
七之助さん良かった![]()
(山本耕史さんの三成さんも良かったけど)
ちょっと悪く言えば
三成さんの神経質っぽい感じが
(良く言えば生真面目な感じ)
顔つきに現れていて
それに歌舞伎界の人は声が出て
戦さシーンでは映えるね
「さにあらず」
「微塵も揺らいでおりません」
「思い上がりも甚だしい」
「火種が誰の心にもある」
「自惚れるな」
一途な三成さんでしたが
でも正直
この家康と三成の会話シーンいらんわ![]()
いろいろ言いたいことある![]()
茶々さんにもちょっと言いたいけど
ただ、さすが信長の姪
北川景子さん良いわ![]()
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「家売るオンナ」が好きだった
片桐どのが出てきた![]()
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小早川秀秋さんの描かれ方が
自分の意思で決めていたところ
気弱な感じに作られなかったところ
はよかったかも
西軍にとっては大いなる裏切り者だけど
彼は彼の信念を貫いたまで
まあ工作員?な家臣や
病気の影響も多々あったみたいだけど
脳神経外科の先生が書いていらっしゃる
この記事が興味深い↓
小早川秀秋の関ケ原での優柔不断、その後の乱行は、すべて病気のせいだった!?
今は小早川さんのいた松尾山に
のぼり旗が立ってわかりやすいですね
(笹尾山三成陣跡駐車場より)
これは↓5年ぐらい前に三成陣跡まで登った時
松尾山は右側に見えているけど
のぼり旗無いのでわかりにくい
まりさんはものすごい勢いで
この階段を上り下りするので![]()
下りが怖いから最近は登っていない![]()
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うちの親族などは
昔から家康嫌いばかりで
あなたの先祖代々は家康公に恨み
でも?
と思うぐらいで![]()
家康の勝つところなど見たくない![]()
そうで
どうする家康はちらとも見ていない





