第5回 関ヶ原の田んぼ
関ヶ原の戦いは
旧暦慶長5年9月15日
新暦1600年10月21日
におきましたが
今の関ヶ原も
あちこちに田んぼが残る風景ですが
当時も
いくつかの農村が点在する
田園風景だったと思います
私は
新暦10月21日頃ならば
おおよそ稲の収穫も終わっているし
戦場になっても良かったかな?
と思いましたが
実はもっと早い段階で
刈田がされ
村に火を放たれたようで
つまり
その年は全く稲の収穫が
見込めなかったわけで
農民も領主の重門さんも真っ青ですね
関ヶ原が戦場になると分かると
領民は家財道具一式を持って
お寺や近くの山中に逃げたようです
戦後家康は
領主の竹中重門を通じて
被害を受けた地元民に補償はしたようですが
戦さで踏み潰された田畑というだけでも
いやなのに
そこで多くの血が流れたかと思うと
いくら完全な補償を受けたとしても
あまりいい感じではないですね
戦に苦しむ農民たちを思うと
関ヶ原の戦いや大坂冬の陣、夏の陣を経て
戦のない国を築き上げた
家康さんの功績はやはり大きいですね
昔は家康さんが大嫌いでしたけど
おまけのまりさん
ぬいぐるみを枕に眠るまりさん
