第4回 関ヶ原の領主竹中重門
今回は竹中半兵衛の長男
竹中重門さんについてです
関ヶ原の戦い当時
関ヶ原の地は
西の方の今須と松尾は三成の領地でしたが
残りは全て重門さんの領地でした
父親の半兵衛さんが
幼き日の黒田長政さんを匿ったりして
黒田家との縁はずっと続いていたようで
でも最初から
黒田さんと仲良く重門さんも東軍![]()
とはいかなかったようです
最初に書いたようにすぐ西に三成さんの領地
東側の垂井は重門さんと
西軍についた平塚為広の領地
そのむこうには
西軍が駐留していた大垣城
南北は山が迫ったあの狭い土地で
うっかり早くから
家康側につきますー![]()
とか言ったら
なんだか大変な目に遭いそうです
岐阜城攻めの段階では
重門さんは三成側でしたが
その後
井伊直政らの説得もあり
徳川側有利と受け止め
東軍となったようです
小早川秀秋の寝返り
南宮山勢の傍観
が西軍の敗因としてあげられますが
直前に西軍から東軍へ寝返った
関ヶ原の地元の領主重門さんの行動も
三成さんにとっては
大きな痛手だったと思われます
戦場となる土地が自分の手の内にない事
しかも寝返った事で
ある程度のこちらの事情が
漏れてしまっている事
三成さんにとっては![]()
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な事態ですね
しかし
領主重門さんの立場からすれば
一族郎党
そして領内に住まう領民たちを守るのは
当たり前の行動ですよね
黒田長政さんと同じ丸山の陣地に立ち
一緒に戦うことになりました
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岐阜関ケ原古戦場記念館の売店で
竹中親子グッズも買っていました![]()
クッキーと竹中親子の御朱印
左は企画展を見るともらえる冊子です

この冊子
なかなかうれしいものでした
おまけの
まりさん
お外で一人で一通りあそんで
戻ってきたら
出てきたら
また一緒にお外行こうかな
と思うまりさん






