お寺の朝は早い。
例の「チーン・・・チーン・・・」という合図の音で目覚めると、音が鳴っている間に一斉に布団をたたむ。
低血圧なので、自分でも起きているのかいないのか、よく分からない状態で布団を上げた。
それが終わると、館内の掃除に入る。
お堂があるのは禅体験用(?)の会館で、4階か5階建てくらいの建物なので、手分けして一斉に掃除をした。
掃除が終わったら、会館からお寺へ移動。
和尚を先頭に一列になって石畳の道を歩いた。
途中、どこからかお経が聴こえてくる。
毎日その時間に詠まれているのだろうか?
木造の建物の中で、食事のしかたの説明と準備が始まった。
皆は向かい合わせに2列に並び、列の先頭の中心には和尚が座る。
食事当番の人から、1人づつ茶碗におかゆをもらった。
おかゆが全員に行き渡ると、和尚が箸を持つ。
それを確認してから皆が箸を取り、まずおかゆを一掬いする。
箸に乗せたおかゆを机の前方、自分のお椀よりも少し前のところに置いた。
食べる前のお供えだ。
このお供えのおかゆは、後で鳥が摘んでいくと言う。
自分の食べる中から少しだけ他の生き物に分け与えるのだそうだ。
おかずは確か、漬物と味噌汁のみ。
おかゆを食べ終わったら、漬物を使ってお椀の中のおかゆをきれいに拭き取る。
こうすることによって、おかゆを残さず、お椀も掃除することができる。
皆が食べ終わるまで箸は置かず、食べ終わった後に全員で箸を置いた。
食事係の人を中心に片づけを終え、本堂に移動すると、朝の座禅会が始まった。
前日までは和尚の勧めで、半跏趺坐(はんかふざ)という座り方をしていた。
半跏趺坐とは、片方の足を下にして、もう片方の足のひらを逆の足の太ももの上に乗せる座り方で、初心者にはこちらを勧めてくれる。
しかし、当然ながら左右非対称の姿勢なので、個人的には落ち着かない。
もう1つの座り方の結跏趺坐(けっかふざ)は両足を組んで、両足の平を太ももの上に乗せる座り方だ。
これも左右非対称なのだが、それぞれの足に伝わる刺激が半跏趺坐よりは均一に感じる。
この状態で座っていると途中で辛くなるかもしれないという心配はあったが、こちらのほうが集中できるので、結跏趺坐で座ることにした。
静寂の中、合図の音が鳴り始める。
手を足の上に置き、背筋を伸ばして目を閉じた。
鳥の声がする。
心を落ち着けて、ゆっくりと呼吸をする。
「ひとーつ・・・」
「ふたーつ・・・」
昨夜よりは集中できているような気がしたが、わずかに邪念が入り込む。
また、一から繰り返した。
「ひとーつ・・・」
「ふたーつ・・・」
「みーっつ・・・」
何度かそんなふうにしているうちに、本当に何かを考えてるのか、なんだかよく分からないようになってくる。
よく分からないうちに十まで辿り着くこともあった。
足はすっかり痺れてしまっていて、感覚が無い。
そのうちに、なんだか面倒になってきて数えるのをやめた。
そのまま、少し経つと鳥のさえずりが急に大きくなってきた。
遠くから、先程のお経を詠む声が聴こえてくる。
どこからか、線香の香りも香ってくる。
何か感覚は変わった気がする。
しかし、聞こえている、感じてる分、無ではないのだろうか?
心地よい感じがしたが、残念なことにその状態は長く続かず、終了の合図の音が鳴った。
最後に皆でお経を詠んで終了。
朝の工程はあっという間に終わってしまったように感じた。
各々の荷物が置いてある部屋に移動すると、ちょっとしたお菓子とお茶が出てきて、座談会が始まった。
その場の人たちとは一晩を一緒に過ごしたのだが、新入りなので今更に自己紹介をさせられる。
新入りの自己紹介が終わると、今度は質問コーナーだ。
昨日、今日と座ってみて、和尚に何か質問があるかとのことだ。
「無」というのがよく分からなかったので、早速質問してみた。
「無という状態がよく分かりません。これが無なのかな?と思うような状態もあったように思うのですが、それが無であるかどうか分かりません。」
すると、聞いてもいないのに、和尚ではなくベテランのおじさんが答えた。
「これが無か?なんて考えてるときは無じゃねーよ!」
一同が一斉に笑った。
和やかな雰囲気だ。
笑いが収まると、一呼吸置いて笑顔で和尚がしゃべりだした。
「それはなかなか難しい問題ですね。私もまだ、これが無であるというのははっきりとは分からないのですが、後から思って、あの状態が無の状態に近かったと思えるときというのは、全身の感覚が高まって周りの音などが自然に入ってくるような感じですね。」
なるほど、和尚が感じる感覚というのには程遠いはずだけど、まんざらでもないかと思った。
和尚に礼を言って会館を後にすると、またひとりぼっちになった。
キャリーバッグをガラガラと引きながらボーっと考える。
何事も、たいして恐れるほどのことでもないのか・・・
大宇宙も一片の塵も同じ・・・
宇宙と塵の間にあった不安や悲しみが、崩れ去ったような気がした。



