第3話 海へ 【4】
「ヒト」や「モノ」や「コト」との出逢い、自然界の中にある一つの摂理である偶然には両極がある。
幸福な偶然、不幸な偶然。
それはまるで、生きること死ぬこと、光と影、陰と陽の様に相対するものであり、
調和で成り立っているのではないか。
しかし偶然は無意識の中に起こる錯覚だと自分は感じている。
つまり全ては必然であり、偶然とは潜在意識が創造する必然性の中にある偶発的な出来事ではないのか?
そう考えると、あの時あの場所で死んでしまった人々は偶然ではなく、
必然性の中で巻きこまれてしまったのではないか?
しかし全てが必然だと思ってしまうと、生きていく価値が無くなる気がする。
まるで、廃棄時期が決まっていながらも働くロボットの様に、仕組まれた運命の中を生きるだけの人生は送りたくない。
人生というローソクが、時と共に燃え尽きることなく途中で炎が消えてしまうとか、
外的要素が働いて途中で折られてしまうとか、
それが運命として必然性の元を歩んでいようとも、知りたくはない。
もし知ったとしても、今を生きることしか自分には出来ないだろう。
全ては必然性の中で成り立っていたとしても、精神の自由は失いたくない。
もしかしたら、偶然を信じ、偶然を想い、偶然を感じることで、
出逢いの大切さや生きていくうえでの大切な縁を感じられるのではないだろうか?
偶然の縁を感じる出逢いや出来事を見逃さないように、偶然のアンテナを持っている事によって、
たとえその偶然に陰と陽があろうとも、偶然を通じて自分は自然に還れるのではないだろうか?
それは相対する者を想うことに繋がるのではないだろうか?
それは一つの愛というものなのか・・・?
正直、平和への答えは分からないが、偶然を想う事で調和を知り、そこには心の平和が存在する。
そんな気がしたのであった。
思い出せば何かの切欠けがある度に、シンジは偶然の事を考えていた。
古い記憶では、生まれ育った緑町3丁目の団地で遊んでいる頃だった。
その時は幼馴染の直義と何か別の目的があって、遊びの最中で団地の屋上によじ登ったのだが、
偶然が重なり二人で素晴らし夕焼けを眺め、生まれて初めて夕日で心が揺れた感覚を覚えている。
直義と並んで夕日に包まれて棒立ちとなり、
言葉を失うなか、今この光景を眺めている偶然に感謝した。
少年達は心を揺らす夕日との偶然の出逢いに感謝したのであった。
打ち寄せる波がまた一つ、時を近づけた。
偶然には陰と陽が存在する。しかしそれこそが調和であり万物の本質ではないだろうか?
生きること死んでいくこと。光と闇。万物は両極のバランスで成り立っている。
人生を彩る素晴らしい出逢いの偶然、人生に試練を与える様な偶然の出来事、
それは自然の摂理であり、偶然は必然性の中にある潜在的な無意識が重なって起こした創造物として、偶然を信じ、偶然を想い、偶然を感じることで、心に平和を与えてくれるのではないだろうか?
そのどこまでも続く疑問符たちが、シンジの人生を少しずつ加速させるのであった。
四角い空と丸い海
coincidence
幸福な偶然、不幸な偶然。
それはまるで、生きること死ぬこと、光と影、陰と陽の様に相対するものであり、
調和で成り立っているのではないか。
しかし偶然は無意識の中に起こる錯覚だと自分は感じている。
つまり全ては必然であり、偶然とは潜在意識が創造する必然性の中にある偶発的な出来事ではないのか?
そう考えると、あの時あの場所で死んでしまった人々は偶然ではなく、
必然性の中で巻きこまれてしまったのではないか?
しかし全てが必然だと思ってしまうと、生きていく価値が無くなる気がする。
まるで、廃棄時期が決まっていながらも働くロボットの様に、仕組まれた運命の中を生きるだけの人生は送りたくない。
人生というローソクが、時と共に燃え尽きることなく途中で炎が消えてしまうとか、
外的要素が働いて途中で折られてしまうとか、
それが運命として必然性の元を歩んでいようとも、知りたくはない。
もし知ったとしても、今を生きることしか自分には出来ないだろう。
全ては必然性の中で成り立っていたとしても、精神の自由は失いたくない。
もしかしたら、偶然を信じ、偶然を想い、偶然を感じることで、
出逢いの大切さや生きていくうえでの大切な縁を感じられるのではないだろうか?
偶然の縁を感じる出逢いや出来事を見逃さないように、偶然のアンテナを持っている事によって、
たとえその偶然に陰と陽があろうとも、偶然を通じて自分は自然に還れるのではないだろうか?
それは相対する者を想うことに繋がるのではないだろうか?
それは一つの愛というものなのか・・・?
正直、平和への答えは分からないが、偶然を想う事で調和を知り、そこには心の平和が存在する。
そんな気がしたのであった。
思い出せば何かの切欠けがある度に、シンジは偶然の事を考えていた。
古い記憶では、生まれ育った緑町3丁目の団地で遊んでいる頃だった。
その時は幼馴染の直義と何か別の目的があって、遊びの最中で団地の屋上によじ登ったのだが、
偶然が重なり二人で素晴らし夕焼けを眺め、生まれて初めて夕日で心が揺れた感覚を覚えている。
直義と並んで夕日に包まれて棒立ちとなり、
言葉を失うなか、今この光景を眺めている偶然に感謝した。
少年達は心を揺らす夕日との偶然の出逢いに感謝したのであった。
打ち寄せる波がまた一つ、時を近づけた。
偶然には陰と陽が存在する。しかしそれこそが調和であり万物の本質ではないだろうか?
生きること死んでいくこと。光と闇。万物は両極のバランスで成り立っている。
人生を彩る素晴らしい出逢いの偶然、人生に試練を与える様な偶然の出来事、
それは自然の摂理であり、偶然は必然性の中にある潜在的な無意識が重なって起こした創造物として、偶然を信じ、偶然を想い、偶然を感じることで、心に平和を与えてくれるのではないだろうか?
そのどこまでも続く疑問符たちが、シンジの人生を少しずつ加速させるのであった。
四角い空と丸い海
coincidence
