こんにちは!
桃に目がない今日この頃です……!
では本題に。
大勢の人の気持ちに配慮すると
発信が難しく感じられることって
ありません?
だって、みんな同じ考えではありませんし、
それぞれの立場も違います。
全員に満足してもらえることなんて、ないんですよね。
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最近、アメリカ連邦最高裁が、
人工妊娠中絶を憲法上の権利として認めた1973年の判決を覆す判断を示したんです。
この判決の直後、声を上げる企業はほとんどなく、沈黙していたそうです。
社会問題について積極的に発言してきた企業さえも。
それというのもやはり
万人を満足させることができないから、
……ということらしいんですね。
まあ、企業としては
炎上なんてことになれば
多くの人々に影響が及びますから
ますます慎重になるものでしょう。
個人であっても
「自分の主張が誰かを傷つけるかもしれない……」
そう思うと、発言を躊躇してしまうことって、あると思うんです。
多くの方に配慮しようとしても
すべての方をカバーするのは難しい……。
昔、あるボランティアを引き受けたら
仲良しの先輩から無視されるようになったことがあります。
その先輩のお友達から
「あなたがボランティアを引き受けたから、断ったあの子が悪く見える。そういうことみたい」
と、教えてもらいました。
なんじゃ、そりゃ?!
じゃ、ボランティアする人が
この世から消えたらええんかい??
そういう社会の方がつらいやん?!
なぁんて、先輩への呆れや
ある種の軽蔑みたいな
そんな気持ちが湧きましたが
先輩の友達はとても静かな目で諭してくれたんですよね。
「あなたのそういう『正しさ』が問題になっていると思う」
「ボランティアを引き受けたその心で、あの子の立場も考えてみて欲しい」
まだ若いなりに、
「正しいこと」は別の観点から見れば「正しくないこと」である。
……ということを学んだ良い機会でした。
ヒーラーの仕事をしている中で
出会うご相談には
「自分が自分らしくふるまうことで、誰かを傷つけるのが怖い」
というものがあります。
「自分の発言が誰かのカンにさわり、攻撃されるのが怖い」とか。
それでも発信したい思い、
表現したい自分の心があるから
相談にいらっしゃるんですよね。
発信することに限らず
日常の些細な自己表現にも
気を遣ってしまう方もおいでです。
これは「特殊な人」の悩みというより
ほとんどの方が大小あれど
持っているものな気がします。
他人に合わせて生きるのも
いろ〜んな価値観が存在していますから
すべての人に合わせることは、難しいですよね。
じゃ、どうしたらいいんだー!
という時に浮かんでくるのは
「猫のお寺の知恩さん」に出てくるあるセリフ。
twitterでバズって
話題になっていたんですよね。
「どんな良い人間でも、きちんとがんばっていれば だれかの物語では悪役になる」
バズったということは
多くの人がこの言葉に
思い当たる何かが
あったんだと思います。
今日はそんなお話でした。
お読みいただき、ありがとうございます。^^