なるほどね、そこがわからなくて、悩むのか。
誰かが自分のことを「意地悪だ」と言ったとしましょう。「いや、そうではない」と反発するものの、「相手がそう思うなら、それが事実なのかもしれない」とも思う自分がいる。
だけども、相手の言うことが事実なのだって受け入れようとすると、今度は「自分は相手の言うことに流されてはいないか。自分がないのではないか」という考えが浮かんでくる。そして、出口がないように感じる。どうあればいいかわからなくなる。
こういうご相談が多いこの頃。
まず、「事実」というものはないんですよね。
ある出来事や現象について、「自分が思っていること」、「相手(他人)が思っていること」、があるだけ。
で、相手の頭の中では「あなたは意地悪だ」が紛れもない事実なわけですよ。そして自分の頭の中では「いや、私は意地悪じゃない」がやっぱり事実なわけですよ。どっちも、それぞれにとっての事実。
そこに、客観的な事実も真実も存在し得ないんですよね。
「客観的事実」はない。 あると思っているのは幻想ですね。
これがわかるといいな、と思うんです。
そこで、自分がどうするかだけど、「あ、私は意地悪なんだ」って相手の思っていることを自分の考えとして取り込むのもあり。
「私は意地悪じゃないよ!」と相手に自分の考えを取り込んでもらおうと頑張るのもあり。
あとは、「私は意地悪じゃないんだけど、相手の世界の中では意地悪なんだな。それはつまり、このままの今の私が、相手には間違いなく、意地悪なんだ」と受け入れて、それについて謝るなり、行動を変えるなりをしていく、というのもあり。
うーん、伝わるでしょうか。このあたり、悩んでいた方が抜けていくきっかけになれたかしら。
誰かが自分のことを「意地悪だ」と言ったとしましょう。「いや、そうではない」と反発するものの、「相手がそう思うなら、それが事実なのかもしれない」とも思う自分がいる。
だけども、相手の言うことが事実なのだって受け入れようとすると、今度は「自分は相手の言うことに流されてはいないか。自分がないのではないか」という考えが浮かんでくる。そして、出口がないように感じる。どうあればいいかわからなくなる。
こういうご相談が多いこの頃。
まず、「事実」というものはないんですよね。
ある出来事や現象について、「自分が思っていること」、「相手(他人)が思っていること」、があるだけ。
で、相手の頭の中では「あなたは意地悪だ」が紛れもない事実なわけですよ。そして自分の頭の中では「いや、私は意地悪じゃない」がやっぱり事実なわけですよ。どっちも、それぞれにとっての事実。
そこに、客観的な事実も真実も存在し得ないんですよね。
「客観的事実」はない。 あると思っているのは幻想ですね。
これがわかるといいな、と思うんです。
そこで、自分がどうするかだけど、「あ、私は意地悪なんだ」って相手の思っていることを自分の考えとして取り込むのもあり。
「私は意地悪じゃないよ!」と相手に自分の考えを取り込んでもらおうと頑張るのもあり。
あとは、「私は意地悪じゃないんだけど、相手の世界の中では意地悪なんだな。それはつまり、このままの今の私が、相手には間違いなく、意地悪なんだ」と受け入れて、それについて謝るなり、行動を変えるなりをしていく、というのもあり。
うーん、伝わるでしょうか。このあたり、悩んでいた方が抜けていくきっかけになれたかしら。