アリストテレス10号のブログ

一橋大学と慶應義塾大学の上下関係は微妙である。

受験難易度や受験者の学力ないし偏差値からすると一橋のほうがやや有利な感じがする。

というより、中身をよく知っている人なら、一橋の優位は揺るがないであろう。

 

そもそも受験科目数が違う。

一橋にはない理系は置いといて、文系に話を限るなら、一橋はセンター試験と二次の国・社・数・英であるのに対して、慶應は英語と地歴(ほとんど歴史)と小論文である。

 

ちなみに慶應の経済や商は地歴の代わりに数学を選択できる。

いずれにせよ、一橋は延べ5教科7科目の重量試験、慶應は一応3科目、実質2.5科目(あるいはよく言われるように実質2科目)の軽量試験である。

 

慶應は英語を重視し試験問題の難度は高い。

一橋は二次の全科目がまんべんなく難易度が高く、特に文系にしては数学(ⅢはなくⅡBまでだが)が鬼だと聞く。

 

慶應の数学は一橋に比べればかなり簡単らしい。

結果として、受験難易度と入学者の学力は一橋の平均を100とするなら慶應は70~110であろう。

ここで慶應が奇妙なことになっている。

 

つまり、下は70なのに最上層は110なのだ。

慶應は内部生や推薦やAO入試が多いので下は70まで下がるが、東大ギリ落ちも結構いるし、京大落ちもいるので最上層は一橋を超えるのである。

 

また、内部生、つまり付属校上がりの中にはいいかげんなのもいるが、ものすごく優秀なのも多々いる。

そこで、こう言える。

一橋は旧帝と同様に粒がそろってみな優秀、慶應は早稲田ほどではないがピンキリが激しく、優秀なのは東大京大並み、ひどいのは日駒以下という感じなのだ。

 

国立市にある一橋大学(上)と港区にある慶應大学(下)




 

入試難易度や入学者の学力は以上のようなものだが、それ以外の指標として資格試験の合格実績と就職実績と出世度がある。

資格試験は両大学とも強い。

 

司法試験は合格者数、率ともに慶應は日本1~3位に毎年つけている。

他方、一橋は率はいつも1位か2位であるが、学部、ローともに学生数が少ないので数は慶應の半分以下となる。

 

公認会計士試験は慶應の独断場であり、ずっと合格者数日本一である。

国Ⅰも慶應の方が強い。

ここらへんで慶應が優位に立っているのは前述の最上層の学生のおかげであろう。

 

一橋はあくまで粒がそろって皆優秀なのである。

就職に関しても超一流企業~準一流企業へと両校は多くの卒業生を送り込んでいる。

ここでも一橋は取りこぼしなく準一流以上に確実に行けるが、慶應は下位層の学生はだめで、中上位層しかそういうところに行けないらしい。

 

しかし慶應は数にものを言わせて、ランキングでは早稲田とともに常に全国1、2位を争っている。

この点では東大すら抜いていることが多い。

また、入社後の出世でも数的には慶應の方が一橋よりも社長、役員、上位の管理職が多い。

 

一橋は堅実だが地味な感じで、課長や部長でおちついているのではなかろうか。

慶應は三田会、学閥のおかげで派手に飛び回って、社長や役員の地位を獲得していそう。

しかし、落ちこぼれは三流企業平社員、フリーター、ニートになっていそう(早稲田ほどひどくはないが)。

 

政界を見ると、早稲田とともに慶應の力は圧倒的で一橋は京大とともに影が薄い。

いったい一橋と慶應はどっちがお買い得なのであろうか。

両方合格した場合、95%以上が一橋を選ぶらしいが、それは果たして完全に賢い選択なのであろうか。

 

これは再考すべきことである。

なお、慶應には一橋にはない理系の学部があり、特に医学部は威光を放っている。

その附属病院はあまりに有名である。

 

新宿区にある慶應病院 ↓


 

 

とにかく慶應は総合大学の強み、圧倒的なブランド性、数の優位があり、侮れない。

単純に堅実な秀才性と国立の堅実な教育体制という観点から一橋一択というのは考え物である。

一説によると、慶應は今後文系において一橋どころか京大すら抜いてしまうという予想が出ているらしい。

 

 

あまり知られていないことだが東京帝国大学(東大)の初代総長は慶應義塾出身だったのである。

日本人の国立大信仰は根強いが、世界トップのハーバード大は私立であり、一橋のように粒がそろっているというよりは、慶應のように幅があるらしい。



『巨人の星』には多くの女性が登場するが、そのうち一番の美人は新宿の女番長・お京さんだというのが通説である。


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この場面は新幹線の中で飛雄馬が大リーグボール3号のヒントを得る瞬間である。

指を怪我したお京さんが放るリンゴを左門が取り損なうのである。

 

ちなみに飛雄馬はお京さんに惚れられていたが、その気がないので左門に譲った。
 

埼玉県の川口市は荒川を挟んで東京都北区と隣接している大都会です。

かつては鋳物工場の街として有名でしたが、工場が次々と壊され、その跡地に超高層マンションが林立しました。

その圧巻の市街地の航空写真です。


 

 

JR京浜東北線の赤羽駅を出て荒川の鉄橋を渡ると川口駅に着きます。

そして、駅を降りて周りを見渡すと、ご覧のようなマンハッタンです。

上の画像からも分かるように、川の向こう側に東京スカイツリー、池袋、新宿が遠望されます。

 

昭和30年代に吉永小百合が主演した映画『キューポラのある街』から川口のイメージを想像していた人は、この変わり様に唖然とするでしょう。

とにかく、この川口の例もまた、「ださいたま」と揶揄される埼玉の意外な都会性を示しています。

一度来てみてください。

 

東京側から遠望した次の写真も参考になります。


 

 

川口の超高層マンション街を中心として、右にさいたま新都心・大宮、左に武蔵浦和の超高層ビル群が写っています。

この景観が埼玉の都会性を最もよく示しています。

 

新著『新・人間失格 ― 人間を失格して哲学者になった男』をAmazonからKindle版として出版しました。

 

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書は太宰治の名作『人間失格』を哲学者である私が新たな視点から書き直した哲学的小説である。太宰の『人間失格』は一六歳のときから私の心を掴んで離さなかった芸術作品であり、この魅惑は私の長い哲学遍歴を完全に貫いている。

私は太宰の「人間失格」の概念の裏に『HUMAN LOST』における精神病院強制入院時の心境が濃い影を落としていると思う。それゆえ、この『新・人間失格』では、太宰の病跡を客観的に分析する観点から、新たに精神病に対する偏見と人間失格者意識の関係を捉え返し、それを物語の中に織り込んだ。また、多くの人が意外と思うであろうが、私は太宰の人間失格という概念が、トランスパーソナル・エコロジーと親近性をもつこと、ないしはそれと融合可能であることを示唆した。また、人間失格者意識がアンチ・ヒューマニズムの哲学や反出生主義と共通性をもつことは容易に理解できると思う。私はこの点を人類滅亡という終着点に向けて語った。この小説の中の登場人物間の対話・議論の中にそれを織り込むという手法で語ったのである。

私は自称・人間合格者の化けの皮を剥ぎたいのだ。自称・人間合格者たちこそ、人類の滅亡を加速化する元凶である。彼らは幸福中毒者であり、自分たちの欲望の際限なき拡大のために、あるいは明るい人生を謳歌するために、精神障害者や人間失格者を蛇蝎のように忌み嫌い、この世から抹消したがる。少なくても、どこかに隔離したがる。人間合格者の本性は偽善者である。太宰が人間失格だとするなら、彼らは人間のクズなのだ。この「人間失格」と「人間のクズ」の対比が本小説の核となるものであり、それは哲学的視点から深く深く論じられている。そして、その背景には私の広くて深い哲学と科学と医学の知見が控えている。その意味で、この作品は太宰の『人間失格』の単なる改訂版ではなく、新たに書き起こされた哲学的人間失格者賛美の小説なのである。

太宰の人間失格論は、人類が自らの滅亡を潔く受け入れるために役立つ最高の哲学の一つだと私は思っている。

 

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本田技研工業株式会社が1974年に発売した輸出用バイク。

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