秋はお土産をいただくことが多い。
誰も彼も時間が芳醇にあるわけではないから、
季節が変わる頃合いに、
そういえば夏休みに〇〇へ行ってきたので、などと報告を兼ねていただくのが
秋の土産だ。
まだ子どもが小さい彼女からのお土産はユニバのボールペン。
滅多なことがない限り未成年と触れあうことのない毎日に、こういうお土産は年甲斐もなく嬉しい。
そもそも旅嫌いだから、テーマパークなどもう100年くらい行っていない(感覚)。
料理は散々してきたからできるだけしたくないと同じく、わたしが旅嫌いになったのも、
この手のレジャー施設や海山川丘谷すべての小旅行に行き尽くしてきたからかもしれない。
子連れの旅は冒頭からおぞましい。
旅行会社の添乗員程度の知識なら負けないくらいのデータをかき集め、旅の予算から家族の希望を聞き、行程を作成し、もうこの時点でやり切っているのに、旅のあいだは専属の撮影スタッフ(一名)として動き回り、気づけば渋滞に巻き込まれながらの帰路である。
旅から帰れば帰ったで、山のような洗濯や食事の支度。
旅はいつも体力と気力の一本勝負だった。
涼しい顔をしている彼女の旅には、そんなこと微塵も感じられないけど、
かつてのわたしもそう見えていただろう。
そこまでが旅だからである。
それを知っているからこそ、余計に嬉しいお土産なのです。
苦瓜の確信をつき損ねさう
子はかすがひ桃味のグミもも風味
蛇笏忌の花蕊と喉を見比べる
聞く耳を持たない鹿を喜ばす
漕戸もり
秋なのに冷房はまだまだ必須。
想像の秋を生きる。
